寝台特急 はやぶさ

東京駅を出発して九州へ向かうブルートレイン。中学生のころ、本当に憧れてました。東京駅までわざわざ行って、出発するところをよく見たものです。今では北へ向かう新幹線ホームのある場所が、当時は東海道線の特急・急行の発着ホームでした。

高校2年のときの昭和54年6月、とうとうその機会が訪れました。当時下宿生活をしていた従姉妹を訪ねて、母と叔母を山口県の萩まで連れて行くことになりました。新幹線でなく、僕は九州へ行くブルートレインに乗って萩へ行く計画をたてました。

何故「はやぶさ」かというと、当時夕方のラッシュ時間前に発車する、「さくら」「はやぶさ」「みずほ」のうち、日本海側へ向かう美祢線の起点である「厚狭」(あさ)に停車するブルートレインは「はやぶさ」だけだったからです。

梅雨の合間のよく晴れた金曜日、横浜駅の6番線で僕たちは特別寝台急行「はやぶさ」が来るのを待ちました。確か17時15分頃の発車だったと思います。ホームのアナウンスで、車両番号とホームの柱番号との対応を繰り返し案内してました。

そしてやってきました。EF65を先頭に24系の電源車が轟音を響かせ目の前を通り、そして寝台車両が続きます。僕たちが乗るのはB寝台、「2段ハネ」といわれたタイプです。自動ドアが開いて列車に乗り込み、予約した寝台を探しているうちに列車は発車してました。

当時の電車は、冷房車がきたらラッキーだった時代です。涼しい車内に入った瞬間、旅行が始まりました。すぐに車掌さんが検札にきて、「この4人ボックスはお客さんたち3人で、あとは来ませんよ」と教えてくれました。それからすぐに、叔母は売店で買ったポケット瓶のウイスキーを開けました。早くも姉妹はハイテンションです。

列車は小田原を過ぎて海と蜜柑畑が見えてくると、「僕も旅行が始まった」と実感してきました。熱海を過ぎてから、僕たちは食堂車に向かいました。「焼肉定食」みたいなのを食べた覚えがあります。静岡駅の手前で空は夕方から夜に変わりました。それからは、闇夜を走り続けます。

名古屋駅へ着いたとき僕はホームに降りてみました。ホームの立食い蕎麦やに「きしめん」と書いた暖簾が掛かってました。僕は知らなかったのですが名古屋駅の停車時間は5分以上ありました。最初から分ってたら、僕はきっと「きしめん」を食べてたでしょう。

京都からしばらく、僕は一番最後尾の車両から線路を見てました。このあたりは首都圏でいう京浜東北線みたいな路線があり、東海道線は複々線のようです。103系のガラガラの国電と並んで走ることが、何度かありました。脚を投げ出して座ってる酔っ払いのオッチャンが何人もいました。「あの人たちは大阪弁をしゃべるのか」なんて考えてると遠くにきたもんだ、と思いました。

それから僕は、上段の寝台にもぐりこみ横になりましたが、殆ど眠れませんでした。

つぎに残ってる記憶は、瀬戸内海を見ながら国道2号線と並んで走ってる朝です。瀬戸内海は凪いでおり、大小さまざまな島々が海にポッカリ浮かんでました。昨日に引き続き今日も快晴です。

そして一晩走り続けた寝台特急は厚狭に到着しました。僕たちが降りるとすぐに「はやぶさ」は発車していきました。終点の「西鹿児島」までの道程の半分以上は走ったのでしょうか。厚狭駅は広い構内に長いホームが1本ある駅でした。そして僕たちは跨線橋を越えて、美祢線の短いホームへ向かいました。

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高尾発松本行き

高校の卒業式が終わった数日後の晴れた日の朝、僕は国鉄高尾駅のホームに立ってます。天狗のオブジェの脇で。そこから高架線をひっきりなしに停まっては発車していく京王線の電車を見ています。

今から僕は信州大学の理学部を受験するため、高尾発松本行きの普通電車で松本に向かいます。なぜ信州大学を受けるかというと、多分北杜夫の影響でしょう。本当は北海道大学に行きたかったのですが、共通一次試験で全くダメ。というか「この偏差値で受かる国公立大学はまずないでしょう」といわれてました。でも「万が一合格したら儲けもの」という気持ちで2番目に行きたかった信州大学に願書を提出しました。

その日の朝早くに家の最寄り駅から京急に乗り、仲木戸で降りてすぐ向かいの東神奈川駅で松本までの切符を買いました。当然学割。横浜線に乗って八王子で乗換え、誰も乗ってないオレンジ色の下り中央線快速で終点高尾につくころには、ラッシュ時間も終わった誰もいない寂しい駅でした。

昔、横須賀線で使っていたような紺とクリーム色の電車がホームに到着したのは、僕が高尾駅へ着いてから一時間ほど。「もしかして並ばないと座れないかもしれない」と思って早めに高尾までやってきましたが、全くの思いすごし。1ボックス貸し切りどころか、1両に10人も乗ってません。

電車は発車すると、すぐに山のなかへ入っていき、長いトンネルに入ります。小仏トンネルです。それをぬけると相模湖駅に到着。天気は快晴が続きます。真っ蒼な湖面が一瞬観えました。相模湖駅から先もトンネルとカーブの続く山の中。大月から先は標高が高くなり、線路のまわりは根雪が残るようになります。関東地方と甲信地方との分水嶺、笹子トンネルをぬけると、頂きを真っ白い雪に覆われた山々が現れました。

電車が甲府駅に滑り込んだとき、ホームに若い女性が数人いるのに気付きました。電車が停まってしばらくすると、女の子がひとりホームを走ってきて車内の僕に手をふります。驚きました。高校の同級生でした。

彼女たちは、卒業旅行に清里のペンションに行くため、新宿から特急に乗って甲府で降り、小海線の分岐する小淵沢までこの電車に乗ることにしたそうです。彼女たちは高校を卒業してそれぞれ就職が決まってて、僕のところに走ってきたKさんは都市銀行への就職が決まってました。

Kさんとはそれから小淵沢まで色々話しをしました。高校1年生のときにとなりの席だったのをきっかけに、廊下で会えば色々話す間柄でした。1年生の頃の楽しかった話、文化祭や運動会で盛り上がった話、涙がでるくらいの笑い話も出てきました。でも、楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

もうすぐ小淵沢の駅に着くというとき、彼女がボソッといいました。「清里なんか行くより、このまま松本までついてっちゃおうかな」それに対して僕は「いいよ。でも今晩はユースホステルだよ」・・・ もっとまともなことが云えなかったのか、後から後悔しました。僕は彼女を好きだったのかもしれません。

彼女は小淵沢で降りていきました。満面の笑みを残して。

それからしばらくは何故か寂しい気持ち。高校を卒業した現実。受かる可能性の殆どない受験。浪人生活への不安。そして、楽しかった高校生活。

電車が諏訪湖畔を過ぎたころ小雪が舞い始め、辰野を過ぎたら山の中へ入っていきました。当時の中央東線は、みどり湖経由ではありません。たしかスイッチバックもありました。「遠い国、信州へやってきた」とホントに思いました。標高があがってくるとまわりの景色は一面の雪景色。塩尻へ到着すると、空は再び青空へ。

高尾を発車してから4時間以上かかったと思います。終点の松本駅へ到着。電車から降りると風が冷たかったのを覚えてます。改札口を出てすぐ、お腹が空いていたので待合室で立食い蕎麦を食べました。「これが信州蕎麦か」と思いましたが、僕に味の違いは分かりません。

階段を降りて駅前へ出てみると、埃がすごいのに驚きました。スパイクタイヤが道路を削った埃です。正直、「こんな空気の汚いところに住みたくない」と思いましたが、とんだ取り越し苦労。予想通り試験は不合格でした。
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山陰本線 余部橋りょう

丹後半島の伊根町で一泊して、次の日僕たちは日本海に沿ってR178を西に向かいました。快晴だった昨日の名残で午前中は日差しがありましたが、昼からは曇りです。城之崎温泉、蟹で有名な香住を過ぎ、小さな峠を越えると、日本海に面した小さな谷に架かる巨大な鉄橋が突然目の前に現れました。余部橋りょうです。
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「山陰地方には明治時代に作られた当時東洋最大の鉄橋がある」とは聞いてましたが、突然目の前に現れるとは思ってもみませんでした。実際に見ると、その大きさに驚かされます。現代のスマートな構造物にはない威厳と風格を備え、美しささえ感じます。

と、ちょうどそのとき、列車の近づく音が聞こえました。そして京都方面から2両編成の気動車がやってきて、橋りょうをゆっくり通過していきました。時折国道を通過する車の音と波の音以外、静寂だった谷にそのときだけ轟音が響きます。IMG_5895.jpg

この橋りょうから列車が転落し、多数の死傷者が出たとニュースで見た覚えがあります。この小さな集落に、天から列車が降ってきたのです。さぞ凄惨な光景だったことでしょう。この事故で無くなった方、被害を受けた方には心よりお見舞い申し上げます。

この橋は海に面しており塩害がひどく、また老朽化が進んでるため架替え工事が始まったそうです。これは致し方ないとは思いますが、信越線の碓氷峠と同様、未来へ継承する建築遺産として、後世に残せるものなら残してほしいと思います。一生のうちに、もう一度は見に行きたいと思ってます。

14:08 | 電車系 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

屋久島の森林鉄道

僕が屋久島に行ったのは1999年7月、会社の同僚と「縄文杉を見てみたい」などと話していたのが現実となりました。

朝、羽田発鹿児島行きのジェットで飛び立ち、鹿児島空港で飛行機を乗換え、YS11で屋久島空港に降り立ったときはまだ昼過ぎ。鹿児島までは晴れてましたが、ここ屋久島は小雨です。屋久島空港は、ローカル線の駅のようで、小さなロビーと1軒のレストランがあるだけ。そこには、同僚の父上が車を準備して待っていてくれました。

「屋久島にはひと月に35日雨が降る」と言われてるように、蒸し暑い雨が降ったり止んだり。その日は雨の中、屋久杉ランドなどを見て、宮之浦の郊外の民宿に逗留です。

翌日、夜明けとともに民宿を出発し縄文杉を目指します。海岸沿いは晴れてましたが、山の中へ入っていくと雨が降りだしました。昨日行った屋久杉ラントの手前を右に折れ、林道を行きます。林道の行き止まりには、森林鉄道の線路がありました。

雨はなんとか止み、僕たちはその軌道の上を歩き出しました。枕木の間隔が微妙でかなり歩きにくいところです。1時間ほど歩くと長い橋がありました。なかなかスリルがあります。
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この橋をわたったところが小杉谷という昔の集落の跡です。小学校もあったようですが、いまでは誰も住んでません。建物の基礎が、きれいな緑色の苔に覆われて、いくつか残ってるだけです。

そこからさらに1時間ほど歩くと、大木の切り株がありました。まさに大木です。その広さは部屋1つ分以上です。

事情があり、僕たちはそこから来た道を引き返しました。本当に、本当に残念です。

小杉谷の鉄橋を渡ってすこし行ったところで、エンジン音が聞こえてきました。そしてしばらくすると機関車が前からゆっくりやってきました。可愛い機関車でした。
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僕たちはもう1泊民宿に泊まり、その次の日の午前中、屋久島空港からYS11で飛び立ちました。

いつかはもういちど屋久島行って、今度こそは縄文杉を見てみたいと思います。

18:50 | 電車系 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

急行銀河のおもいで

2008年3月15日の朝の到着をもって、寝台急行銀河は廃止されました。今週、日帰りで大阪へ行き、梅田の地下街を歩いてたとき、ふとテレビでやってた廃止のニュースを思い出しました。

「銀河」は、東京-大阪間を走ってた寝台急行です。東京から九州へたくさんブルートレインが走ってた頃も、酔っ払いで混んでた湘南電車にまぎれて、深夜に東京駅をひっそりと発車する列車でした。「銀河」とは夜行列車にぴったりの、実にいい名前だと思います。英語でいうとMilky Way、それもまたロマンチックな名前です。

僕はこの列車に一度だけ乗ったことがあります。2004年の4月のことです。大阪へ仕事で出かけたある金曜日。淀屋橋の事務所で会議が終わったのは21時半をまわってました。東京方面へいく新幹線は既になく、ホテルを取ろうと思ったとき、大阪の先輩から冗談半分で「東京行きの寝台がまだあるでェ」と教えてもらいました。ネットで調べると22時20分頃の発車。まだ間に合います。僕はどうしてもその列車に乗りたくなり、御堂筋線でJR大阪駅へ向かいました。

大阪駅のみどりの窓口で、B寝台下段の切符はすんなり買えました。駅ナカのコンビニでおにぎりと缶ビールを買い、「銀河」が発車するホームへ向かいました。春の生暖かい風のふく夜でした。

発車15分ほど前にその列車はホームに入ってきました。機関車はEF65、そしてそれに続き電源車、A寝台車、そしてB寝台車が5両です。僕ののる喫煙車は一番後ろの車両でした。24系客車だったでしょうか、「2段ハネ」といわれてた車両です。

車内に入るとさっそく浴衣に着替え、寝台にすわり缶ビールを飲みながらおにぎりを食べ始めました。この車両にお客さんは、僕のほかにひとりだけ。別のボックスです。発車のチャイムが鳴り終わると、列車は滑るように動きだしました。そしてすぐに淀川を渡り、新大阪駅にちょっと停まってから、夜の市街地を加速していきました。

列車は京都に到着し、僕の寝台の向かいに新しいお客さんが入ってきました。結局、この喫煙車両にお客さんは5~6人でした。おにぎりを食べ終わってた僕は、廊下側の引き出しタイプの椅子に座り、煙草と缶ビールを手に、流れ去る夜景、というか街灯を眺めてました。仕事疲れに加えてビールの酔いがまわり、米原到着前には寝台に横になり熟睡してました。

目覚めたのは空が明るくなりかけた富士駅でした。停車時間がかなりあるのか、車掌さんと駅員さんがホームでずっと話しをしてました。僕も浴衣のまま、ちょっとホームへ降り新鮮な朝の空気を胸いっぱいに吸い込みました。今日の天気は曇りのようです。

列車はそのあとも走り続け、沼津・丹那トンネル・熱海・小田原を過ぎていきました。進行方向右手に見える海が灰色だったのが残念です。小田原から先は住宅地を走り続け、そして僕の降りる大船駅に到着です。時間は6時前だったと思います。ここから横須賀線の下り電車に乗換え、家へ向かいました。

昔と違い、カーテン1枚を隔てて赤の他人と朝まで一緒にいることに耐えられない人は多いと思いますし、どちらかというと、僕も今ではそのタイプだと思います。イビキの大きな人がそばにいるとなると、まず耐えられないでしょう。「銀河」が廃止されたのは、とても寂しいことだと思いますが、これも時代の流れで致し方のないことだと思います。元鉄道ファンとしては残念です。
16:34 | 電車系 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

JR東海 足柄駅

C山梨ツーリングの帰りにちょっと立寄った駅、JR東海 御殿場線の足柄駅です。場所は御殿場からちょっと松田・山北方面へ行ったところですが、交通量の多い国道246号線からはかなり離れた場所です。実は、僕は籠坂峠から足柄峠へ向かう途中で、トイレがあると思い立ち寄りました。この写真では分らないですが、きれいなトイレと駅前ロータリーまでありました。でも、無人駅です。


A駅の近くには東名高速が走っており、「足柄」という名前は、御殿場線の駅というより、東名のサービスエリアとして有名だと思います。そしてここは、新しくできた上り線の道路が旧線を跨いで、南側(向かって右側)に移るところです。この新しい上り線、カーブも勾配も緩やかな3車線で、とても走りやすい道です。80km/h制限ですが、知らず知らずのうちにスピードが出てしまうので要注意です。


Bこの足柄は、金太郎で有名です。ですが、桃太郎などの他の童話と違い、物語のストーリが思い浮かびません。幼稚園のころ、絵本を見たのは覚えているのですが、「熊と相撲をとってた」ぐらいしか、記憶がありません。


E金太郎のそばに立て札がありました。足柄駅の生立ちについて書いてありました。そうでした。御殿場線は丹那トンネルが開通するまでは、東海道本線でした。むかしの超特急つばめなども、ここを走っていたのでしょう。そう思うと立派な駅に見えてきます。


DG

ここがホームで、暫くすると踏切の警報機が鳴り出し、ガラガラの下り電車がやってきて停車しまました。そして直後に上り電車もやってきて、この足柄駅で交換です。昔複線だった御殿場線は今では単線です。

Fそして、足柄峠へ向かいます。駅前の踏切を渡り、標識に従って右へ行きます。狭い林の中のワインディングが延々と続きます。対向車は全くありません。路面に落ち葉が積もってるため、あまりスピードが出せません。


H20分ほど走ったでしょうか、頂上の足柄峠に到着しました。道路脇にバイクを停めて石段を登ります。すると、曇り空でしたが、形のよい富士山が望めました。方向からして、富士に沈む夕日がきれいでしょう。

今度は晴れた日にきたいものです。


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南海電車で関空へ

南海難波駅へついたらちょうど8時、ラピートβ67号が発車していきました。次に関空へ行く電車は20時13分発の空港急行 関西空港行き。これの先頭車両にのりました。
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南海電車は先頭車両の運転席のすぐ後ろは優先席。多少混んでましたが、お年寄りはいなかったのでそのまま座ってます。そこから運転席を覗くと、非常に小さい運転席がありました。まるでおもちゃのようです。そして首都圏では珍しくなった、2ハンドルタイプです。

発車時刻になると、運転手さんは運転席の脇のカーテンを降ろし、電車を発車させました。車掌さんからの「発車ヨシ」の合図はベル、チリン チリン~。セブンイレブンのコマーシャルのオープニングと全く同じだったのには驚きました。

せっかく一番前に座りましたが、雨の夜なので前方は殆ど見えません。途中までは複々線だったようですが、どこまでかは分かりませんでした。

電車は泉佐野を過ぎると南海本線と分かれ、すぐに「りんくうタウン」に停車します。ここから終点の関西空港まではJR西日本と共用の線路で海を越え関西空港島へ向かいます。このころ、車内はガラガラでした。

20時57分、関西空港駅へ到着すると降りるお客さんは20~30人ほど。それに対して電車を待っていたお客さんは、その10倍ぐらいでした。羽田の京急と同じです。

21時25分発の羽田行き、ANA150にはちょうど良い時間でした。搭乗直前に売店で「柿の葉寿司」をお土産として買い、搭乗ゲートへ。となりではB747-400がやすんでました。
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北海道内、夜行列車の終焉

8月31日の発車を最後に北海道内の夜行列車が全てなくなりました。今後、復活の可能性は全くないそうです。最後まで頑張っていたのは、札幌と釧路との間を臨時・季節列車として走ってた「まりも」です。

9月1日の今日、この記事を読むまで知らなかったのですが、かつて道南・道東・道北へ毎夜札幌駅から発車していた、そして毎朝札幌駅に到着していた夜行列車は臨時特急「まりも」だけとなっていて、その「まりも」も既に廃止になったと云います。何ともいえない寂しさを感じます。

美幌から札幌まで乗った急行大雪5号、函館本線を走る発札幌行き普通列車、そして、急行利尻や急行まりもには、数知れず乗りました。大変、お世話になりました。

こういう僕も学生生活を終えてからは、北海道の列車の旅に一度も行ってません。道内夜行の全廃は、時代の流れといえばそれまでですが、しごく残念です。
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