横浜橋
港区、三田界隈
国道15線、通称第1京浜国道の札の辻の交差点から、慶応大学方面に向かうと真正面に東京タワーがよく観えます。日が暮れるとその存在観はさらに増し、夜空にクッキリ浮かび上がります。

JR田町駅前には駅名の違う、都営浅草線の三田(みた)駅があり、この界隈は江戸時代から"三田"と呼ばれてます。昔は同じ読み方でも"御田"といい、将軍家へ献上するお米を育てる田圃があったとか。今では、慶応大学の学生や日本電気など大手企業の本社が立ち並び、朝夕は勿論日中でも活気のある街です。
田町(三田)駅前から、細い路地に入っていくと慶応通りという路地があり、個性のある飲食店が建ち並んでます。この界隈は、下町の雰囲気の中にしゃれたレストランや、安い居酒屋などがポツポツ店を構えます。
東京タワー方面から国道一号線(第2京浜国道)を走ってくると、国道は慶応大学前で右折、直進すると数百mで国道15号線札の辻です。ここは第1京浜と第2京浜が最も近づくところ。

美味しいものを食べるには、楽しいお酒を飲むには、三田界隈は中々いい街です。

JR田町駅前には駅名の違う、都営浅草線の三田(みた)駅があり、この界隈は江戸時代から"三田"と呼ばれてます。昔は同じ読み方でも"御田"といい、将軍家へ献上するお米を育てる田圃があったとか。今では、慶応大学の学生や日本電気など大手企業の本社が立ち並び、朝夕は勿論日中でも活気のある街です。
田町(三田)駅前から、細い路地に入っていくと慶応通りという路地があり、個性のある飲食店が建ち並んでます。この界隈は、下町の雰囲気の中にしゃれたレストランや、安い居酒屋などがポツポツ店を構えます。
東京タワー方面から国道一号線(第2京浜国道)を走ってくると、国道は慶応大学前で右折、直進すると数百mで国道15号線札の辻です。ここは第1京浜と第2京浜が最も近づくところ。

美味しいものを食べるには、楽しいお酒を飲むには、三田界隈は中々いい街です。
横須賀水道みち
横須賀で最初に施設された水道は、観音崎の手前の走水から横須賀製鉄所、今でいう米軍海軍横須賀基地までだそうです。海軍力増強に伴って水量が足りなくなり、次に相模川の支流、中津川の水を半原から引いてきました。その水道管の上に作られた道は、横須賀水道みちといいます。
その取水口がここ、横須賀市水道局半原水源地です。場所は宮ケ瀬ダムのちょっと下流の半原市街にあります。このあたりの風情は宮ケ瀬ダムのできる前となんら変わらず、どこか懐かしさを感じる街並み。

中津川からの水はここで取水され、この沈殿槽から水道管を通って横須賀まで運ばれます。明治時代に作ったこの水路、今でも現役です。

その水道管の通る道、横須賀水道みちはずっとこんな感じの道。

取水口の半原から横須賀まで、旧日本海軍の力により、ほぼ直線のルートとなってます。
相模川を水道橋で渡るところ以外はほぼ直線で藤沢の手広あたりまで。そこから大仏の切り通しを越えて長谷で直角に曲がり、鎌倉市街を東西に横断します。材木座には「水道路」というバス停まであります。その先は小坪トンネルと並行して逗子へ入り、JR逗子駅の前を通って横須賀線と並行して横須賀の田浦へ。
そこからは国道16号線の下を通り逸見のウエルシティの前まで。ここを右に曲がり逸見の浄水場へ続く急坂を上ります。取水口の半原の方が標高が高いため、逸見の高台の浄水場まで水は水圧で押し上げられるそうです。
昔から神奈川県の地図を眺めてて、斜めに真っ直ぐ走る道は知ってましたが、水道管を敷設した道だと知ったのは、横須賀に引っ越してきてからです。また、昔小坪に住んでて材木座の水道路は通勤路でしたが、横須賀と関係あるとは全く思い至りませんでした。
その取水口がここ、横須賀市水道局半原水源地です。場所は宮ケ瀬ダムのちょっと下流の半原市街にあります。このあたりの風情は宮ケ瀬ダムのできる前となんら変わらず、どこか懐かしさを感じる街並み。

中津川からの水はここで取水され、この沈殿槽から水道管を通って横須賀まで運ばれます。明治時代に作ったこの水路、今でも現役です。

その水道管の通る道、横須賀水道みちはずっとこんな感じの道。

取水口の半原から横須賀まで、旧日本海軍の力により、ほぼ直線のルートとなってます。
相模川を水道橋で渡るところ以外はほぼ直線で藤沢の手広あたりまで。そこから大仏の切り通しを越えて長谷で直角に曲がり、鎌倉市街を東西に横断します。材木座には「水道路」というバス停まであります。その先は小坪トンネルと並行して逗子へ入り、JR逗子駅の前を通って横須賀線と並行して横須賀の田浦へ。
そこからは国道16号線の下を通り逸見のウエルシティの前まで。ここを右に曲がり逸見の浄水場へ続く急坂を上ります。取水口の半原の方が標高が高いため、逸見の高台の浄水場まで水は水圧で押し上げられるそうです。
昔から神奈川県の地図を眺めてて、斜めに真っ直ぐ走る道は知ってましたが、水道管を敷設した道だと知ったのは、横須賀に引っ越してきてからです。また、昔小坪に住んでて材木座の水道路は通勤路でしたが、横須賀と関係あるとは全く思い至りませんでした。
旧道路公団と首都高のフォント
日本道路公団の時代から、高速道路の緑看板の字体は特殊だと思ってました。その字体が緑看板共通ではないことに、先日首都高を走ってて始めて気付きました。

「あれっ、首都高は普通のゴシックだ 東名とかの緑看板と違う」

昔撮った横横の写真と比較してみます。「横」の字を比較すると明らかに違います。

「黄」が横横ではかなり横幅が広く見えます。

「浜」の字を東名横浜のものと首都高とで比べてみます。

「兵」の真ん中の口が異常に大きく感じます。

首都高の普通のゴシック体と旧道路公団の字体とではどちらが視認性が良いか意見が分かれるところだと思いますが、個人的な好みとしては、旧公団の方が僕は好きです。
先日のニュースで知りましたが、慣れ親しんだ道路公団標準文字(公団ゴシック)からヒラギノ角ゴシック体 W5に変わるとのこと。残念です。

「あれっ、首都高は普通のゴシックだ 東名とかの緑看板と違う」

昔撮った横横の写真と比較してみます。「横」の字を比較すると明らかに違います。

「黄」が横横ではかなり横幅が広く見えます。

「浜」の字を東名横浜のものと首都高とで比べてみます。

「兵」の真ん中の口が異常に大きく感じます。

首都高の普通のゴシック体と旧道路公団の字体とではどちらが視認性が良いか意見が分かれるところだと思いますが、個人的な好みとしては、旧公団の方が僕は好きです。
先日のニュースで知りましたが、慣れ親しんだ道路公団標準文字(公団ゴシック)からヒラギノ角ゴシック体 W5に変わるとのこと。残念です。
押上界隈
押上は京急ユーザーにとって、少なくとも名前だけは良く知ってる地名。僕がその駅に始めって行ったのはそんなに古くありません。千葉ニュータウンから両国へ行く用があったので、始めて押上の駅で降りました。都営押上駅は2面2線の狭い地下駅。階段を登って地上にでると整理が終わったばかりの広い敷地。そのときは、「ここに新しい東京タワーが出来るんだって」というレベルで、それはまだまだ先だと思ってました。
湾岸道路から新木場のところを左折して明治通り内回りを北へ。最初廻りは倉庫街でしたが次第に高層団地の住宅街。亀戸あたりが先頭の渋滞が見えてきたころ左折して一本内側の四つ目通りを走ります。住吉・錦糸町と北上していくと、その巨大な構造物が目の前に迫りました。
たまたま空いてたコインパーキングに車を入れ、スカイツリーの麓方面へ歩いていきます。その巨大な構造物を下から見上げると、まるで真上を向かないと頂が見えません。1分も見てると首が痛くなってきました。ただいま、497mだそうです。

それにしても大きい。

スカイツリーの麓には見物客がたくさん。土産物やタコヤキ屋なども多数出展して、早くも観光名所になってます。

見物が終わったらお腹がすきました。本当はラーメン屋を探してたんですが、最初に目についたお店はここ。家内がどうしても食べたいといいます。

久しぶりに「もんじゃ」を食べました。

押上や錦糸町、東陽町などには共通した懐かしい雰囲気があります。住んだことはありませんが、何となくそう思います。
湾岸道路から新木場のところを左折して明治通り内回りを北へ。最初廻りは倉庫街でしたが次第に高層団地の住宅街。亀戸あたりが先頭の渋滞が見えてきたころ左折して一本内側の四つ目通りを走ります。住吉・錦糸町と北上していくと、その巨大な構造物が目の前に迫りました。
たまたま空いてたコインパーキングに車を入れ、スカイツリーの麓方面へ歩いていきます。その巨大な構造物を下から見上げると、まるで真上を向かないと頂が見えません。1分も見てると首が痛くなってきました。ただいま、497mだそうです。

それにしても大きい。

スカイツリーの麓には見物客がたくさん。土産物やタコヤキ屋なども多数出展して、早くも観光名所になってます。

見物が終わったらお腹がすきました。本当はラーメン屋を探してたんですが、最初に目についたお店はここ。家内がどうしても食べたいといいます。

久しぶりに「もんじゃ」を食べました。

押上や錦糸町、東陽町などには共通した懐かしい雰囲気があります。住んだことはありませんが、何となくそう思います。
| ホーム |