横須賀で初雪

今日は朝から冬晴れでしたが、午後になって陽が翳ってきて3時頃には雪がチラホラ舞ってきました。確かに午前中の天気予報では、「今日は関東地方南部でも雪が降るかもしれません」って云ってたっけ。

4時過ぎに買い物でも行こうかと外を見るとこの通り。陽が射してるのに深々と粉雪が降っていて、一面真っ白。今年の冬では始めてです。
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行こうと思ってた買い物は中止にします。車が雪で坂道登れなくなったら困るので。

横浜で雪が降っても、普通横須賀では雨。雪はめったに降らないところなのに。

明日の朝は早めに出ないと会社に遅刻するかも。

16:49 | ★2011年 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

ほぼ東日本全域で影響のある大災害が発生しました。被災した方々には、本当に心よりお見舞い申し上げます。

地震発生当時、僕は東京神田駅付近のラーメン屋でラーメン食べてました。最初は「また地震か」と思い、ラーメンを食べ続けてました。予震のながさ・大きさに段々不安になってきたとき、本震がやってきました。まさに大揺れの瞬間、僕はラーメン屋の壁に凭れかかり、梁と食べてたラーメンドンブリをおさえてました。

お客さんは僕ひとり。お店には職人さんと女性店員さんのふたり。たったこの3人でもパニック状態になりました。「火ぃ消せ!」「消しました」「外に逃げよう!」「ダメ!ここの方が安全!」スープをとってるズンドウはひっくり返るかと思うほど大揺れに揺れました。

揺れがおさまったので残りのラーメン食べてお店を出ました。神田の街にでてみるとガラスが割れてたり、瓦が落ちてたり。その状況のなか余震が続いてるので、そこここでパニックが起きてます。とりあえず、家内と娘の安否確認メールを発信。駅にいっても電車は動いてません。歩いて会社に戻ります。

業務でも色々ありましたが、最優先事項は部下の安否確認。全て確認がとれたのは翌日朝の5時。首都圏の通信状態はメタメタでした。19時頃、家内とは奇跡的に携帯 to 携帯で連絡がつきました。「娘は家にいた」ことが確認できたのは21時頃。会社も個人的にも、もうちょっと確認のやり方考えとかないと。

夜から朝方にかけた首都圏の交通は麻痺状態。電車は全て停まり首都高も通行止め。一般道路は幹線を中心に全く動きません。そんななか、自宅に向けて歩く人がウヨウヨ。被災地の映像もそうですが、この深夜の首都圏もまるでパニック映画のよう。

この影響でどこのコンビニからも食料品が消えました。飲み屋とかいくらでもやってるので、僕は心配してませんでしたが。これもパニックの一種。みんな、買占めなんかしなければこんなことにならないと思います。

翌朝になって、交通機関が復旧しはじめ午後にはほぼ平常の土曜日に戻りました。

首都圏の混乱は、津波などで被災された方々と比較したら全く大したことはありません。被災地の復旧が進むことを、心よりお祈り申し上げます。

それと、原発の問題。本当に心配です。

11:12 | ★2011年 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

納豆が食べたい

震災発生当日、都内のコンビニからオニギリやお弁当、パンやカップ麺に至るまで即食べられるものは全て無くなりました。

翌々日の日曜日の夕方、近所の大型スーパーに行って唖然としました。商品が殆どないのです。豆腐・納豆・肉やハムなどは全くありませんでした。

震災から一週間経った今日、そろそろ米櫃の底が見えてきたので、同じスーパーにお米を買いに行くと、お米は全くありません。いつもはうず高く積まれてる納豆も、1パックもありません。
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僕のうちの朝食に納豆は欠かせません。いつもはこの3パックの「おかめ納豆超小粒」を週に2パック買ってますが、明日から当分は食べられません。納豆が食べられなくなるなど、全く大したことではありませんが寂しい限りです。同じ商品棚に、少しだけあったお豆腐は2つ買い物かごに入れました。

震災直後から首都圏で何か変わってきてます。電車の中で携帯電話で話す人、愚だらないことでいざこざを起こす人、そして自動改札機の警告を無視して行ってしまう人。

皆さん不安なのは分かりますが、その不安は全員の問題なのに。何か、日本人として情けなくなってきました。こういうときこそ朗らかに生活したいものです。被災地のことを考えると、首都圏は極楽なのですから。

お米ですが、家内が仕事の帰りに職場の近くのスーパーで5kg入りが売ってたのを見つけ、買ってきてくれました。重いのにご苦労さんです。
19:42 | ★2011年 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

道端の紫の花

ある晴れた日の朝、駅へ向かう途中で道端の綺麗な紫の花に目がとまりました。
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何という花でしょうか。こんなところに咲いてるので雑草の類でしょうが、あまりにも鮮やかな紫色にしばし時間を忘れて見入ってしまいました。

22:09 | ★2011年 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

懐かしの下高井戸

先日、仕事で調布に行きました。11時過ぎに打ち合わせが終わり、次の予定は13時に田町。中途半端に時間が余ったので、ふと思い立ち下高井戸に立ち寄ることに。調布から各駅停車新宿行きに乗ると、特急とかと違いガラガラです。下高井戸までの20分ほどの間に2回、後発電車に抜かれました。

下高井戸駅に到着し、各駅停車からホームに降り立ちます。余談ですがIS05で写真を撮ると、動いてるものが歪んで写ります。素人なりに考えると、シャッター切った瞬間に光を一度に記録するのでなく、端からスキャンして記録するのではないでしょうか。このような走り去る電車の写真を撮った場合、電車の上部を記録してるときと下部を記録した時にタイム差があり、その間に電車は移動するので頭が飛び出たように歪んで写るのでは?
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今は変わってしまいましたが僕がこの駅を利用してたとき、京王線の電車種別は「各駅停車」「快速」「通勤快速」「急行」「通勤急行」「特急」の6種類あり、明大前には全部停まりますが下高井戸は「各駅停車」と「快速」だけ。「明大前から急いで電車に乗ったら次の停車駅は調布だった」なんてことはよくありました。
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下高井戸駅前の踏切です。今では普通の踏切になってますが、昔は京王の係員が「カン・カン・カン」でなく「ブッ・ブー」という警告音を鳴らして、目視で遮断機というか遮断綱を手動で降ろしてました。駅舎が立体化され、踏切を渡る人が激減したからでしょう。昔は上り線の改札口とホーム、下り線と東急世田谷線の改札とホームは独立していて踏切か狭い地下道を通らないと行き来できません。そのころ、上り各駅停車が踏切を通過した直後、遮断綱をくぐって踏切を渡り、ダシュで改札口に駆け込むと、その電車に間に合いました。(その地下道は今でもあるのでしょうか)
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下り線のホームへ上がる改札と世田谷線の乗り場があったところ。今では立派な駅舎になってます。その世田谷線の降車ホームを歩いて奥へ行くと、「ちえ」とか「きくや」という飲み屋があり、その先には小さな映画館がありました。
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学校方面へ歩いてみます。当時と比較し、変わったお店が半分、変わってないお店が半分ぐらいでしょうか。ここの2Fにあった「珈琲館」は変わってません。300円のモーニングで長時間ここで過ごしました。何が楽しかったのか、昔の学生は喫茶店が好きでした。
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よく行った「パチンコ ホームラン」はなくなりマンションになってました。松沢小学校は建て替えられ、これも立派な校舎になってます。その先の交番まで歩きました。その交番の位置は変わっており、昔交番のあったところはドコモショップになってました。通学途中にその交番の掛け時計で時間を確認し、学校までの歩くスピードを調整したものです。当時は時計を持つ習慣は僕にはなく、携帯などなかったので。

旭鮨とか釜めしの鳥ぎんなどの老舗は昔のまま。喫茶店「雪華堂」はなくなってました。交番の先にも行きたかったのですが、そろそろ時間が。カレーとコーヒーの店ベンガルとか富士屋食堂などもまだあるのでしょうか。

下高井戸から新宿方面へひと駅、明大前で井の頭線に乗り換えます。この景色も昔と変わりません。甲州街道と中央道へつながる首都高。
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でも電車は変わりましたね。昔は冷房設備のない緑色の電車もよく走ってました。
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