泉岳寺始発、京急A快特

休日に京急に乗ると、ファンの多さに驚かされます。運転席の後ろでは、子供はもちろんビデオ撮影してる大人もよく見かけますし、沿線でシャッターチャンスを狙ってる方も1人や2人ではありません。僕が落ち着いて京急を楽しむのは、平日の午後。泉岳寺から乗るA快特の2100形です。

10時41分から15時42分まで、20分毎に泉岳寺駅を発車するA快特は、殆どが2100形。この車両は運転席の後ろが観覧席のようになっており、京急の快走ぶりを楽しむことができます。この席は4席しかなく、ここに座るため平日の日中でも泉岳寺駅で電車の入線を待ってる方もよくお見かけします。時々、僕もその一人になることがありますが。

始発駅の泉岳寺は、都営地下鉄浅草線と共同のため地下駅です。僕の乗るA快特は、泉岳寺駅を特徴のあるドレミファサウンドで発車すると、1分で本来のターミナル駅の品川駅に到着です。ここでガラガラだった車両はほぼ満席になり、運転手さんも運転席の後ろのスクリーンをあけてくれます。

品川駅を発車するとじわっと加速。その後すぐ減速して急カーブのJR線越えの鉄橋を渡ります。その急なS字カーブが終わると北品川駅。そこを通過すると線路は高架になり、加速しながら登っていき、新馬場を通過。次の青物横丁駅通過時には早くも減速を始め、鮫洲駅前後のカーブをゆっくり通過。カーブ区間が終わると再び加速が始まります。先行する各駅停車がいなければ、120km/hまで加速して大森海岸駅を駆抜けます。次の平和島駅構内はカーブのためちょっと減速し、平和島駅からは坂を下って再び加速。高架工事の区間に入っていきます。高架線用の支柱が林立するころ京急蒲田駅に到着です。

京急蒲田駅を発車するとフル加速で120km/hまでもっていきます。工事区間のため、製作中の工作物が接触せんばかりに飛ぶように過ぎていき、まるでTDLのアトラクションのよう。その工事区間が終わると坂を登り六郷土手駅通過。その土手からは多摩川を渡る鉄橋。京急川崎駅構内に入り、後部に連結される羽田空港発の4両編成電車の脇をすり抜け、ホームの先頭に停止。

ここから金沢文庫駅までは12両編成。待避線で待ってた4両編成の電車を連結します。京急川崎駅を出発すると横浜駅までは可能な限り、制限いっぱいの120km/hで爆走します。鶴見川を渡って京急鶴見駅構内を通過。すぐにJR鶴見線をくぐるための下り坂のゆるい右カーブ。ここから数キロ間、JR線と平行します。そこで東海道線のテールランプが見えようものなら、運転手さんも気合が入るようで、JR新子安駅あたりまでには、必ず抜き去ります。子安駅手前からいったんJR線と別れ、車庫があるためポイントの多い神奈川新町駅をスピードを落とすことなく通過。何故か高架の仲木戸駅のアップダウンの先、神奈川駅で再びJR線と並んで横浜駅へ滑り込みます。

この横浜駅、1面2線だったものが最近、昔と同じ2面2線に戻りました。A快特は横浜駅を発車すると、しばらくは急カーブが連続します。特に発車直後は、たまちゃんで有名になった帷子川を渡りJR根岸線と廃止となった東急東横線をくぐるため、きついS字カーブとアップダウンが続きます。それから高架となり旧平沼橋駅を通過して左へカーブすると戸部駅を通過します。戸部駅の先に最初のトンネルがあるのですが、これが不思議なトンネルです。戸部側から見ると入り口は丸いのですが、日ノ出町側は四角くなってます。

野毛山を三つのトンネルと切り通しで抜けると日ノ出町駅。ここにも超急カーブがあります。黄金町から横浜への線路敷設、本当は桜木町方面へ直進し、今の根岸線と同じルートとする予定だった線路を、無理やり戸部方面へ曲げたためとか。

日ノ出町駅からは、大岡川と平行して走ります。ここは桜の名所で、4月になると満開の桜を見ながら走ります。昼間だけでなく、ライトアップされた夜桜もとてもきれいです。次の駅は黄金町駅。この駅、湘南電気鉄道のころは三浦半島へ向かうターミナル駅でした。でも今は各駅停車しか停まらない駅になってしまいました。昔、この区間に急行が走ってたころ、ここ黄金町と日ノ出町には急行が停車してました。

神奈川新町駅と上大岡駅のほぼ中間にあたる南太田駅には、無理やり退避設備が作られました。A快特は横浜駅からここまでゆっくり走ってきましたが、ここからやっと京急らしい走りになります。短いトンネルを抜けると盛土の上を走って、井土ヶ谷駅を通過。その先のほぼ90度ターンを抜けると、横浜駅以南の最高速度110km/hまで加速しその速度のまま弘明寺駅を駆抜けます。弘明寺公園の下のトンネルを抜けて比較的新しい高架線を走り抜け、やっと減速して鎌倉街道と交差、上大岡駅に到着です。

この上大岡駅、工事期間はたいへん永かったのですが、いまでは京急百貨店の2Fがホームになってて、沿線の人にとっては大変便利な駅になりました。上大岡駅を過ぎると京浜急行は郊外電車っぽくなり、廻りには戸建て住宅が増えていきます。次のトンネルを抜けると屏風ヶ浦駅。JR根岸線で云うと磯子駅のちかく。この辺からの京急は、横須賀まで国道16号とほぼ同ルートとなります。

屏風ヶ浦駅からは、いったん坂を下って杉田駅とその脇の踏切を110km/hで通過し、上り坂になります。途中、根岸線と横浜環状3号線と交差し、トンネルを越えると国道16号と並んで走ります。その上り坂の頂点は能見台駅で、この駅は昔、谷津坂駅といいました。その能見台駅からは下り坂となり、R16の車の流れを見ながら走るとすぐ金沢文庫駅に到着です。

12両編成の快特は、ここで切り離す4両編成の各駅停車の行き先により到着ホームが違います。浦賀行きを連結してたら1番線、新逗子行きだったら2番線。ここで8両編成となり身軽になったA快特は、各駅停車を残して足早に発車していきます。

切り離された4両編成の各駅停車と、既に待ってた各駅停車とは、金沢八景駅までの複々線を活用し、ほぼ同時に発車します。それぞれ、浦賀行きと新逗子行きです。この区間だけ、JRの山手線と京浜東北線のよう。

いっぽう、金沢文庫駅を発車したA快特は、車両基地と金沢八景駅を通過して横浜市とはこの辺でお別れ。横須賀市へ入って最初の駅、追浜駅を通過するころ、周りは横須賀北部地区独特の谷戸の風景となります。ここから横須賀中央駅までは、海沿いにもかかわらず、トンネルが続きます。

京急田浦駅と安針塚駅との間には、十三峠の下を通る長いトンネルがありますが、このあたりに田浦梅の里があります。満開は2月中旬でしょうか。なかなか見ごたえのある梅です。安針塚駅の次は逸見駅。ここには待避線があり、朝夕のみ各駅停車が特急の通過待ちをします。この駅もJR田浦駅みたいに、トンネルに挟まれた駅。

逸見駅からは、次の汐入駅を通過して横須賀中央駅まではトンネル。そのトンネルを出ると、そこは横須賀一番の市街地の中心、横須賀中央駅に到着。
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京浜急行の複々線

京浜急行本線は、東京の泉岳寺から横須賀の浦賀までの複線・電化区間ですが、10年ぐらい前から一部の区間に複々線があります。それは、金沢文庫-金沢八景間のわずか1.4km。こんな短い区間の複々線に最初は意味があるのかと思いましたが、暫くみてると有益であることが分かってきました。

1.下り線
  金沢文庫駅は、各駅停車の退避駅です。従い、金沢文庫から次の金沢八景の間の下り線を複線化すると、各駅停車を追抜く快速特急と、待っていた各駅停車とが同時に発車できます。快特は金沢八景を通過するので、各駅停車は金沢八景駅を普通に信号青で発車できます。時間的ロスがなく実によくできてます。

2.上り線
  京浜急行は電車の連結と分離をよく行います。三崎口とか京急久里浜発の品川方面行き上り快特は8両編成ですが、金沢文庫から京急川崎の間、浦賀または新逗子発羽田空港行き各駅停車を後ろに連結し、12両編成で走ります。京急川崎で分離するときは、先頭の快特が走り出し、その後4両の羽田空港行きが発車します。金沢文庫で連結する際は、ちょっと複雑です。
①快特を各駅停車が待たせるわけにはいかないので、各駅停車は予め金沢八景駅
  停車時から側線を使います。
②各駅停車は側線を普通に発車します。暫くすると、快特が空いている本線を爆走
  してきて各駅停車を追越し、金沢文庫の本線ホームに停車します。
③快特が停車するとすぐ、ポイントが切替り各駅停車の走ってる側線と本線とが
  つながります。それまで、黄色信号で走ってた各駅停車は徐行のまま
  金沢文庫駅手前で側線から本線にうつります。
④本線に入った各駅停車は徐行で快特に近づき、最後に運転手は立上り快特と
  連結し、12両編成の「快特 泉岳寺行き・羽田空港行き」となります。

   これらが、絶妙のタイミングで行われます。
 (側線を走る各駅停車がたまに停車して快特を待つことがありますが)
 見てて面白いです。たいしたもんです。
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金沢文庫駅の朝

金沢文庫駅の平日朝の上りホームでは、特急と快特に増結作業が行われます。ともに8両編成で文庫に到着しますが、ここで4両増結し12両編成で品川まで走ります。快特は3番線を使って後ろに4両、特急は4番線で前に4両増結されます。どうして快特と特急でホームと増結位置が違うかというと、増結車両に座るために並んでる人を分散させるためです。

京急川崎行きや羽田空港行き特急を含めると、ピーク時は20分間に特急3本・快特2本・普通4本の合計9本が上り2ホームから発車し、しかもそのうち5本が増結作業付きです。1時間あたりでいうと、27本の発車でそのうち15本が増結です。増結のための停車時間は2分弱。この機動力はすごいと思います。

一方、JR横須賀線も11両編成の電車に逗子で4両増結しますが、その停車時間は4分です。連結器の性能や線路・信号施設の違いもその差の要因でしょうが、車両の連結・切離しに対する両社の考え方の違いが、大きく表れていると思います。(京急のルーツは路面電車です)

金沢文庫駅で増結車両に座るためには、ホームで20分ほど待たなければいけません。各扉の前に3行(3人横に並んで)になって並びますが、3列目(前から3人目)だったら確実に座れます。但し運転席の脇の扉からでは、電車の型式により座れないこともあります。

4番線前方で特急の増結車両を待つ場合、注意しなければいけないのが、増結車の3本に1本は神奈川新町止まりだということです。良く見てると「次発」より「次々発」の方に多くの方が並んでることがあります。「次発」の増結車両が神奈川新町止まりのためです。

もうひとつ面白いところは、快特は金沢文庫駅から快特になります。金沢文庫までは、特急金沢文庫行きとして運転されます。これは、汐入・追浜・八景から乗車のお客様に気を遣ってるのでしょうか。

各駅停車は3番線からの発車で、2つ先の京急富岡で必ず後からくる特急・快特の通過待合せとなります。従い、金沢文庫では待合せはありません。(京急の各駅停車は可愛そうなくらい、抜かされます)

各駅停車が文庫駅3番線に入ってきたとき、まだ4番線には増結直後の特急が停まってます。5つ手前の逸見駅で抜かした各駅停車から、その特急への乗換えはさせないため(本当は駆け込み乗車防止のため)、ホームに到着しても各駅停車の扉は開きません。特急が発車したのを確認して、各駅停車の車掌さんは扉を開けます。

先日の金曜日、特急の発車を確認せず扉を開けた各駅停車の車掌さんがいました。特急は一度扉を閉めたのですが、何かの原因で発車できず再度扉を開けました。各駅停車から特急へ駆込んだ人がいたのでしょう。特急の発車はさらに遅れました。

多分、その各駅停車の車掌さん、厳重注意を受けたことでしょう。
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弘明寺駅

京浜急行本線にある弘明寺駅は、品川駅からみると上大岡駅のひとつ手前の駅で、各駅停車しか停まらない駅です。「ぐみょうじ」と読みますが、「ぐみようじ」と発音する方が一般的なようです。同様に上大岡も「かみおおおか」でなく「かみおおか」と発音されます。

名前の由来は、駅のすぐそばの弘明寺というお寺です。由緒あるお寺で「川崎大師よりご本尊様が大きい」と聞いたことがあります。弘明寺の裏手の山は、弘明寺公園という桜の名所です。弘明寺公園はもともとお寺の裏山だったのでしょうか。公園とお寺の間に湘南電鉄の線路が敷かれ、弘明寺駅が誕生しました。

僕は、2つとなりの南太田駅から弘明寺駅まで、短い期間ですが幼稚園時代に電車通園をしたことがあります。なぜかというと、幼稚園を卒園する3ヶ月ほど前に、弘明寺周辺から南太田周辺に引っ越したからです。毎朝弘明寺駅前で、幼稚園バスを待っていたものです。

昔の弘明寺駅は、今でいうマックのあたりに駅舎がありました。木造の赤い柱と白い壁の建物で、お寺の雰囲気がありました。当時、跨線橋はなく、現在の踏切と並行して駅構内の踏切がありました。これが不便で、上り電車にのるときは電車が発車するかなり前に踏切が閉るので、電車がきてるのに乗れず、仕方なく次の電車を待ったものです。

弘明寺駅から鎌倉街道方面に坂を下ると、弘明寺の山門の脇にでます。ここから鎌倉街道までが、弘明寺商店街。昔は「銀星通り」といいましたが、今ではどうでしょうか。

おもちゃ屋さんが2件ありました。「ふるはし」と「さのや」だったと思います。よく遊びにいきました。あと商店街で覚えてるのは、櫻亭という中華屋さんのラーメンです。最高に美味しかった記憶があります。それから、「トーハマ」さんという化粧品屋さんの路地を入っていったところに母の実家があり、年中遊びにいってました。

この地区の大事件を思い出しました。当時この地区には「ほていや」というスーパーマーケットがありました。その「ほていや」がある晩火事になりました。翌日目にした、あの黒い水びたしの焦げ臭さい焼跡は、今でも忘れません。僕たちは勝手に放火と思っており、この犯人について当時子供なりに、色々噂をしたものです。「ほていや」は、その後「ユニー」となり建物も新築し発展していくことになります。
※記憶違いで、火事のときはすでに「ユニー」だったかもしれません。

銀星通りの入口は鎌倉街道との交差点です。今ではその下に地下鉄弘明寺駅があります。その正面には横浜国大がありました。僕たちはその広い敷地内へ忍び込むことが大好きでした。どうしてかというと、鬼ごっこをするためです。一日中遊べました。また時折守衛さんとは、本当に死に物狂いの鬼ごっこをしました。

その横浜国大が変だった時期がありました。連日、旗をもってヘルメットを被った人たちや、救急車とかパトカーがいつもいました。そのころだけは、怖くて遊びにいけませんでした。南太田にあった、国大も同じでした。暫くして、元に戻りましたが、僕たち子供は全く中に入れなくなりました。

これらは、昭和40年代前半のことです。毎日が楽しい時代でした。
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北品川駅

京浜急行の起点は品川駅で、そこから三浦半島方面へ南下しますが、品川のとなりの駅が北品川です。これは品川駅の南側ですが、旧東海道の品川宿の北部にあるからこのような名前になりました。

京浜急行電車が品川駅を出発すると左へ急カーブし、JRの上を通過し踏切を2つ越えます。2つめの踏切が旧東海道で、線路はその先、旧東海道と並行して進みます。そしてその踏切のそばに北品川駅があります。

先日、品川駅から青物横丁駅まで旧東海道筋を歩いてみました。当時の舗装状態や家々の造りなど、江戸時代のことは想像つきませんが、確かに昔の雰囲気を残した道が続いてます。小さな商店や食べ物やさんが続きます。所々に案内板もあり、観光で訪れる方も最近では多いのでしょう。

4_20080427101950.jpg途中小さな川があり、それが品川宿を北品川と南品川に分けていたそうです。その橋のところに、昔の地図がありました。確か明治時代後期です。この地図は上が南、北が下です。

旧東海道と並行して昔から京浜急行の線路があります。JR線を見てみると、当時は横浜方面からくると、大井町に分岐があり大崎・渋谷方面にも行けました。この当時、既に品川駅から大崎・五反田方面に線路(今の山手線)があったのは、まだ東海道線は新橋から北方面に線路がなく、赤羽や大宮方面へは新橋からこの線路を使っていたからです。


北品川を過ぎると線路は高架になりますが、僕の記憶では昔、鈴が森の第一京浜国道との立体までは踏切のたくさんある、地上を走ってました。そのうち、青物横丁の手前までが高架になったのは、40年ほど前でしょうか。高架開通と同時に、北馬場駅と南馬場駅が廃止され、新馬場駅ができました。

馬場(ばんば)という地名は、当時の交通機関で重要だった馬を品川宿内で、飼育していたところ、または馬が待機していたところでしょうか。いずれにしても、徒歩か馬しかなかった当時の交通機関、日本橋から品川まで往復したら、一日仕事だったのでしょう。

話はそれますが、第一京浜国道は国道15号、第二京浜国道は国道1号です。京浜地区で「イチコク」というとどちらの道をさすのか、意見が分かれます。昔は第一京浜国道が国道1号だったのでしょうが、当時の国力を注いで(軍事目的で?)作ったのが第二京浜国道だったと聞いたことがあります。片側3車線の立派な道路で、国道のエースナンバーを名乗るほど、当時としてはすばらしい幹線道路だったのでしょう。古い話ですが「夜霧の第二国道」なんていう歌もありました。

時間がなかったので、青物横丁から京急に乗りましたが、もう少し歩いてみたかったと思います。鈴が森の処刑場とか、旧跡がけっこうあるかもしれません。
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