急行 十和田52号

この上野発常磐線経由青森行き臨時急行列車に乗ったとき、僕は中学2年生でした。

上野駅20番線16:16発車だったと思います。どうして覚えているかというと、僕にとって初めて北海道へ行くという大旅行の始まりで、しかも弟を連れた2人での旅行だったからです。日付は確か夏休み後半の8月23日でした。

母がつくってくれたおにぎりをもって、上野駅20番線についたのは、一番暑い14時ごろ。青森までの約12時間、自由席で席を確保するには、かなり早めにいって並ぶ必要があると思ったからです。ホームの各所には、「16:16 十和田52号青森行き自由席○号車」と書かれた木札がロープから吊ってありましたが、ホームにはこれから北海道へ渡りそうな人はだれもいません。当時の列車案内板はこのような方式で、色々な列車の札がどのホームにもいっぱいぶら下がってました。今では当たりまたえのコンピューターと連動した表示板なんて、当時は夢にも出てこない、想像もつかないものでしたね。

今はもうありませんが、20番線は上野駅で一番東よりの地上ホームで今では地下の新幹線ホームへのエスカレータあたりだと思います。その20番線ホームから外を見下ろすと上野のバイク街でした。バイクの試乗などでスロットルを吹かす人もおり、エンジン音が「うるさいな」などと思ってました。まそか、その3年後自分が中古車のCB50を買いにここまで来るとは全く想像できません。

発車15分ぐらい前に、電気機関車に押された、青色の列車がゆっくり入ってきました。冷房がついた車両なので、飛び上がって喜びました。山手線でさえ、冷房車が来るとラッキーだった時代です。その列車のドアが開き、中に入っても僕たち2人以外にはおじさんがひとりだけ。そのおじさんも途中で降り、結局その車両にずっと乗ってたのは僕たち2人だけ。

16:16定刻の発車です。チャイムが流れ車掌の案内が始まります。仙台とか盛岡など、各駅の到着時刻を聞いていると、本当に北海道へ向け旅立ったとの実感が湧いてきました。早速、母のつくってくれたおにぎりを食べようとしたところ、陽のあたるホームに2時間以上置きっぱなしだったためか、異臭があり食べられません。早めに食べておくべきでした。母には悪いのですが、列車のごみ箱に捨てました。その代わりに何を食べたかは覚えてません。

この列車は常磐線経由。水戸あたりまでは明るかったような気がします。車窓で覚えているのは、新松戸駅付近の、武蔵野線と交差するインターチェンジのような線路があったことぐらいで、その次の記憶は暗くなった平駅のホームに降りてみると雷雲が光ってたこと。多分前日はよく寝てないため、ウトウトしていたんでしょう。その「平」って駅はもうありません。今では当たり前になってる「いわき」の昔の駅名です。

次の記憶は仙台。もうすぐ仙台との案内があると、それまで真っ暗だった外にポツポツと街灯が見えはじめ、次第に街中となってきました。22時過ぎだったでしょうか、仙台駅に到着しホームに出てみると、さかんに工事をしてたのを覚えてます。今考えると、多分東北新幹線の新設工事だった思います。仙台を発車すると深夜、到着直前まで社内を暗くするとの案内があり、その後極端に照明が暗くなりました。一瞬何も見えなくなりましたが、暫く経つと普通の明るさと感じるようになりました。

その先、深夜にもかかわらずどこかの駅で駅弁を買い食べたことと、どこかの駅のホームいっぱいに風鈴が吊ってあったことを覚えてます。青函連絡船の乗船名簿を車内でいつもらったかは記憶にありませんが、書き終えた名簿をもって、青森駅のホームに降り立ちました。

朝の4時ごろだったでしょうか、まだ空は真っ暗でした。僕たちは「青函連絡船のりば」の案内に従い、桟橋へと続く跨線橋の階段を登りはじめました。
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13:17 | '76.08北海道 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

急行 すずらん

青函連絡船「摩周丸」が青森駅(港)を出航して3時間。函館への入港はまだ先ですが、下船口に並び始める人が増えていきます。僕たちはめずらしさで、デッキと船室とを行ったり来たり。まだ北海道は見えてきません。空は曇り空。寒くはありませんが昨日の東京の暑さが嘘のようです。

はるか前方に北海道らしき陸地が見えてきました。しばらくして定刻での到着を告げる案内放送があり、僕たちも下船口へ向います。すると既に長蛇の列です。何故だかよく分からず列の後ろに並びます。もうすぐ待ちに待った北海道への上陸。

船が動かなくなってすぐ、並んでる行列がゆっくり動き出しました。まもなく僕たちは函館駅(北海道)に足を踏み入れました。とうとう北海道まできた思うまもなく、下船した人たちはみんな走りだしてます。何故かわからず、僕たちも重い荷物を持って走り出しました。走りながら、これは列車の席をとるためだと気づき、必死で走りました。

函館駅構内は大変広く、長い跨線橋の先の階段をくだり、はるか先にホームが見えたと思ったら、列車はもっと先に停車してるじゃありませんか。目指す列車は、急行すずらん。室蘭本線経由札幌から釧路へ向う気動車です。(僕の記憶によると)僕たちはその日昭和新山ユースホステルに泊まるため、急行すずらんに乗って洞爺まで行くつもりです。列車の先頭車両で、なんとか4人掛けボックス席の窓側2席をとることができました。10分ぐらい、早い呼吸が「はあはあ」止まりませんでした。

発車時間となり、ディーゼルエンジンの音が急に高まって、列車はゆっくり動き出します。いくつかポイントをゴトゴトと渡り、その後スピードが出てきました。初めて目にする北海道の景色の中を走ります。駅をでると市街地はすぐに過ぎて草原っぽいなかを走るようになりました。緑一面の草原のなか、名も知らない紫の花がチラホラ咲いてます。その草原のなかポツリポツリ建っている家の屋根が鋭角で、日ごろ見ている日本の景色とは違います。遠いところへ来たもんだと思いました。

車窓から、姿の美しい山が見えてきました。駒ケ岳です。同じ火山ですが、今までみたことがある富士山とか桜島とかとは違う、かっこいい山だと思いました。なにか北海道っぽいですね。多分、大沼公園のとセットで見たはずですが、そのときの湖は記憶にありません。

駒ヶ岳が後方へ過ぎ去ると列車は、海岸沿いを走るようになります。その海は噴火湾。曇天のためでしょうか、その海に駒ケ岳ほどの印象はありません。しばらくして列車は「長万部」に停車しました。この駅の読み方は、難読のため返って有名で、以前から僕も知ってました。ここで列車は函館本線をはなれ、室蘭方面へ向かいます。

降りる駅の洞爺にまもなく到着との放送があり、網棚から荷物を降ろし、デッキに向います。駅に到着して降りてみると、いつもまにか青空で日もさしてます。停車時間はごくわずか、僕たちが降りるとすぐにエンジン音が高まり紫の薄い煙を残して、急行すずらんは行ってしまいました。降りた人は僕たちを含め10人ほど、僕たちはゆっくり改札口へ向いました。
13:18 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

昭和新山

洞爺の駅についたときは快晴でした。改札口を出ると洞爺湖行きのバスが待っていて、そのバスで洞爺湖畔まで。始めて観る北海道の湖、洞爺湖。中央には島がある典型的なカルデラ湖。何を食べたか覚えてませんが、洞爺湖バスターミナルの前の食堂でお昼ご飯を食べ、それからボートを借りて湖水に乗出しました。

透き通るような青空と、深い蒼の湖水。風はなく音もなく。空を仰ぎ、流れる白い綿のような雲を眺めます。昨日まで居た横浜が嘘のよう。乾いた空気と色の鮮やかさ。北海道は違う世界だと思いました。

洞爺湖畔のバスターミナルからその日宿泊する昭和新山ユースホステルへは、かなり距離があります。普通は昭和新山行きのバスを利用するのでしょうが、まだ日は高く、チェックインの3時にはまだ早いので湖畔を歩いて行くことにしました。弟とふたりで湖を観ながら歩きます。

暫く歩くとゴーカート場がありました。その誰もお客さんのいないゴーカート場で弟と一緒に1周、僕だけでもう1周。幼稚園の遠足で多摩テックに行って以来、僕はゴーカートに目がありません。

結局、ゆっくり歩いて1時間も掛からず昭和新山ユースに到着。まだ時間は早かったので、僕たちはユースのレンタサイクルで昭和新山へサイクリング。

湖畔を走るのは快適でしたが、途中から上り坂。チャリを押して歩きましたが、風が爽やかだったことしか覚えてません。よほど爽快だったのでしょう。昭和新山は、小学校の国語の教科書で習って知ってましたが、実際に観るとその大きさにビックリしました。

畑が盛り上がりいつの間にか山になった火山とは思えません。それも個人所有の山だとか。三松正夫さんという方が持ち主だそうで、早朝洞爺湖畔を散歩してると杖をついて髭をはやした老人、三松さんに会えるかも。とユースのヘルパーさんが云ってました。

それから有珠山のロープウェーに乗って有珠山中腹へ。洞爺湖が箱庭にように観えるパノラマでした。行ったのが遅かったのか、帰りのロープウェーは最終便。ユースへ戻り、早速温泉に入りました。ここは壮瞥温泉と云うそうです。昨日は夜行列車、熱い温泉に浸かって、ことのほかさっぱりしました。

このユースは僕が会員になって2泊目。最初は1年ほど前に泊った伊東ユース。ここ北海道はその時の伊東とはパワーが違います。全国から夏の北海道に集まってきてる若者のパワー。それはもうすごいと、中学生だった僕は思います。ミーティングのゲームとか。

22時頃がユースの就寝時間。ユース特有のスリーピングスーツに包まれて2段ベッドに入ります。ウトウトしてると、同室のふたりがお金計算と明日の予定を栃木弁で話し合ってます。なんとも眠気を誘うホノボノとした会話でした。

23:03 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

日高本線

昭和新山ユースの朝は、普通より早い朝食で始まりました。同じような人たちと乗り合いタクシーで洞爺駅へ向かい、早い列車に乗るためです。昨日と違う、今にでも雨が降りそうな空のした、ユース前から満員のタクシーに乗ると、洞爺駅まではあっという間に到着。

駅についた僕たちは、早速改札口に並びます。何故かみんな並んでいたからです。大都会圏以外の駅では、列車が来ないと改札が始まらないということを初めて知りました。改札が始まりホームで待ってると、ディーゼル機関車を先頭に数両の古い客車の札幌行き普通列車がやってきました。

ドアを手で開けて車内に入ると、誰もいない木造のボックスシートが並んでます。改札口に並ぶ必要など全くありません。そのひとつに僕たちは腰掛け、網棚に荷物をのせると列車は発車。その後、僕はいつの間にか寝入ってしまい、どのぐらい時間が経ったのか目が覚めた時は東室蘭に停車中。周りを見ると車内は超満員でした。

それから列車が走り出すと、再びウトウト。降りなければならない苫小牧駅に近づくと、何故か目が覚めました。列車を降りて苫小牧駅前に出てみます。海岸まで歩こうかとも思いましたが駅前の地図でみると海岸は工場地帯。海が見られるのかどうか分からないので、駅前にあった大型スーパーに入ります。たしか、「ヨークマート」。時間は10時の開店直後、何故か地下のファストフードコーナーでカレーライスを食べました。

日高本線の苫小牧発、様似行きディーゼルカーが発車したのは11時すぎだったと思います。僕たちは駅弁を買ってガラガラのディーゼルカーに乗りこみました。それはタラコ色の2両編成。

天気は朝から曇りで時々観える海は鉛色。この列車には3時間以上乗ってたような気がします。鉛色の海、霧のため乳白色になった草原が記憶に残りました。その草原は、今考えると競走馬を育ててる牧場だったと思います。

様似に到着したときは既に夕方。駅前からは国鉄バスです。日高本線の終点についてディーゼルカーを降りてみると結構たくさんお客さんが居ました。襟裳岬行きのバスは1台では全員座りきれず、2台目のバスがすぐにやってきて、僕たちはそれに乗りました。

すぐに海沿いの道を走り出します。右手の太平洋を見ると鉛色ですが、空と海との境界線は雲が無く明るくなってます。明日は晴れの予感。僕たちは襟裳岬まで行かず、えりも町でおりました。ニコニコ旅館というユースホステルを予約してました。ユースに着き、夕食まではまだまだ時間がありました。散歩でもすれば良かったのですが、ずっとマンガの単行本を読んで過ごしました。

翌日は真っ蒼な空。最高の天気。国道沿いのバス停で、襟裳岬行きのバスを待ちます。

バスに乗ると、観光案内がテープで流れてます。山本コータロー&ウイークエンドの「岬めぐり」が流れてました。確かに、ここ襟裳岬を知って是非行ってみたいと思ったのは、当然森進一の「襟裳岬」ですが、何故か「岬めぐり」がビッタシ合うところ。
「襟裳岬」は吉田拓郎の作品であることはあとから知りました。

襟裳岬は、日高山脈が太平洋に沈んでいくところ。と紹介されてましたが、正にその通り。山脈が海に消えていくところに迫力があり、人などは近づけない荒涼とした風景でした。

20:29 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

広尾線

日高山脈が太平洋へ沈み込む襟裳岬の景色を観たあとは、国鉄バスで広尾線の広尾駅へ向かいます。超快晴のその日、バスは満員でしたが車窓からは綺麗な太平洋の蒼い海が望めました。その浜は百人浜といいます。バスの車内のテープによる観光案内では、なんでも江戸時代の船が難破して百人以上の溺死体が打ち上げられた浜だとか。

その先の海沿いの国道は黄金道路と云います。日高山脈の断崖絶壁と太平洋との隙間の海岸線に道路をつくったため、風雪や波の被害のため年中補修。お札を敷き詰めて作ったぐらいお金が掛かる道なので、黄金道路という名がつきました。

襟裳岬から1時間ほどで広尾駅前に到着。バスから降りた人たちは真っ先に改札口に並びます。帯広行きの広尾線の列車に座るためです。昨日の洞爺や苫小牧で改札が始まる前に並んだ経験から、「並ばなくても絶対座れる」と思いました。特にすることはありませんが、僕たちは並ばずに待合室のベンチで改札が始まるのを待ちました。改札が始まってびっくり、帯広行きのディーゼルカーはたった1両。僕たちは帯広までの長い道のりをデッキで立ってることに。

広尾線は当時、「幸福から愛国行き」の切符で有名でした。幸福駅も愛国駅も駅前は観光客でいっぱい。混んでるディーゼルカーのデッキから、ちょっとだけその光景が見えました。そのディーゼルカーが帯広に到着したのは昼過ぎ。駅にある日本食堂でカレーライスを食べました。当時の主だった駅には必ず日本食堂があり、全国的に同じメニューで営業してました。あまり美味しくなかったのを覚えてます。

帯広駅前からは然別湖畔行きの十勝バスです。そのバスは十勝平野をひたすら北へ走ります。その広い平野が終わったところから、道はダートになりました。大型バスは十人もいない乗客を乗せて、その狭い砂利道をゆっくり登っていきます。その砂利道を登りきったところにあるのが扇ヶ原の展望台。そこでバスは10分の休憩。バスから降りて展望台から見た十勝平野は、それはもう広大で、まさに北海道っていう景色でした。

それからバスは山道を暫く走り、然別湖畔の大きなホテル前に到着。僕たちは往復はがきで予約してあった然別湖畔ユースに。そのユースのPさんは当時、国鉄のOB。ミーティングでは昔の蒸気機関車時代の話をしてくれました。そのPさんの勧めで、翌日はユースでお弁当を作ってもらい、湖畔の反対側へハイキングに行くことに。

翌日も快晴。朝食を終えた僕たちはユースに荷物を預かってもらい、湖の遊覧船に乗ります。対岸の入江で遊覧船をおりて20分ほど原生林のなかを歩くと、素晴らしい湖が現れました。東小沼と云います。(別名東雲湖というのは後から聞きました) 真っ蒼で小さな湖の向こうは草原のような熊笹の斜面。その上にも蒼い空と白い雲。この世の光景とは思えない景色。行ったことはありませんが、何となくカナダのようだと思いました。ほんとに感動しました。

それから僕たちは湖畔の船着き場に戻り、遊覧船でユースのある湖畔に戻りました。途中にもう一か所停まった小さな桟橋では、山田温泉ユースを出発するホステラーへのヘルパーさんたちの盛大なお見送り。そのパワーにも圧倒されました。

11:51 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

十勝平野と雌阿寒岳

然別湖畔発の阿寒湖畔行きのバスは一日に2便。確か阿寒バス。僕たちはその午後の便に乗ります。乗客は僕たち二人だけ。バスは然別湖畔を発車すると、昨日と同じ砂利道を暫く行きます。幌鹿峠を越えて糠平湖、それから士幌線に沿って南下して上士幌。ここからは十勝平野を横断して足寄、阿寒へと走ります。

バスはときどき休憩しながら走り続けます。観光案内のテープも流れました。3時間ぐらいバスに乗ってた記憶があります。十勝平野は広いもんだと思いました。僕たちがバスを降りたのは阿寒湖畔のかなり手前、オンネトーとの分岐点。そこで降りてオンネトー行きのバスを待ちます。そのあたりは一面蕗の原野。僕たちの背丈よりも高い、まるで傘のような蕗が至る所に生えてます。実際に傘のように蕗をさし、歩いてる旅人もいました。

やってきたオンネトー行きのバスに乗って10分ほどで雌阿寒温泉に到着。僕たちはここで降ります、バス停の前にある野中温泉ユースの予約をしてました。ここのユースのミーティングはかなりの盛り上がり。僕が経験した中では最高クラス。当時中学生だった僕にはあまり分からない大学生のノリ。というか学生運動とか反戦フォークのノリ?

そのミーティングで、僕は何故か雌阿寒岳登山ハイキングに行くことにしました。朝2時に起きて山頂を目指し、御来光を仰いでユースに戻るというツアーです。

早朝2時に懐中電灯で起こされ、寒い真っ暗ななかでそのツアーは始まりました。延々と歩く山間道。息が上がります。2時間ほど山道を歩き、明るくなってくると廻りに草木はありません。荒涼とした山肌を登っていきます。当時中学生の僕には相当厳しく、みんなから遅れていきます。親切なヘルパーさんが僕に付き添ってくれて、僕はゆっくり自分のペースで登ることができました。体は大きかったのですが、体力はまだ子供。周りの方々には迷惑を掛けました。

遅れてたどり着いた雌阿寒岳の頂上からは曇り空のため御来光は仰げませんでしたが、十勝平野の広大な大地と阿寒の深い森、そしてオンネトーがよく見えました。オンネトーは、そこだけエメラルド色をした鏡のようで、ほんとうに宝石のように見えました。

ユースに戻って入った温泉は最高。体の芯まで温まる硫黄臭の強いその温泉、今でも忘れることができません。ユースを出る時、フロントの脇にあった売店で、僕はお土産に木彫りの熊を買いました。かなり大きいもので2~3千円したと思います。「やっと売れたぜー」といってその売店にいたヘルパーさんは大喜びしてました。

それから僕たちはバスで阿寒湖畔へ。ボートとかにも乗りましたが、長い旅行の疲れか、それに天気も曇りだったためか、あまり感動はありません。襟裳とか東雲湖などを観てきたあとに観光地化された阿寒湖畔はイマイチでした。

阿寒湖畔から発車する、摩周湖・屈斜路湖・美幌峠をまわる観光バスが発車しようとしてます。でも僕たちは旅の疲れか、乗車を見送りました。代わりに乗ったバスは阿寒湖畔発の北見相生経由の美幌行き。北見相生までこのバスで行き、相生線で美幌へ向かうつもり。でもバスが発車すると僕たちは爆睡し、終点の美幌駅で運転手さんに起こされました。

12:58 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

急行 大雪5号

僕がこの列車に乗ったのは、美幌駅から札幌駅まで。洞爺湖・襟裳岬・然別湖・オンネトーと阿寒湖をまわってきた帰りのことです。「大雪」は、「だいせつ」だとばかり思ってましたが、北海道では「たいせつ」と発音します。

当時、石北線の急行は上下5本ずつあり、これは上りの夜行列車でした。この日は、北海道旅行の6日目。僕たちは疲れてたようで、阿寒湖から北見相生までバスに乗りましたが、起きたのはバスの終点美幌。

時間はまだ15時ごろ。大雪5号は美幌駅を22時頃の発車で、時間はたくさんあります。網走へ行ってみるとか、どこか見物すれば良かったのですが、大半を駅の待合室と駅前食堂で過ごしました。みどりの窓口で問い合わせると、B寝台券が1枚だけあったので買いました。弟は寝台、僕は自由席です。

待合室では、漫画の単行本か、道内時刻表を見て過ごしました。たしか、300円だったと思います。名所案内や駅弁、道内各地の名物などが書いてあり、あきませんでした。そのときの時刻表を大切にとっておいたら、と悔やまれます。

北海道の改札制度にも慣れてきて、発車の30分ほど前には改札口に並びます。やがて改札が始まりホームへ。何号車か忘れましたが自由席の札のところに並びます。まもなく、前照灯を明々とつけたディーゼル機関車に引かれ、チョコレート色の客車がホームに停まりました。自分で扉を開けて乗ります。弟は前方の寝台車の方へ行きました。

車内は思ったより空いていて、4人掛けボックス席のひとつに僕は座りました。列車が発車するとき、窓を開けて外を見てました。古い客車でしたが、しっかり二重窓です。列車が動き出すと、霧の中でシグナルが青から赤へ。あとは、霧があるのか晴れたのか、周りは森なのか草原なのか、全く分からない暗黒の闇でした。

遠軽で方向が変わり、後ろ向きに走り出します。窓側に座ってる僕の向かいのオジサンは横になり、足を前に投げ出し、L字型になって寝ています。つまり4人席の3人分をオジサンひとりに占領されてしまいました。

次に目が覚めたのは旭川に停車してるときです。オジサンの足をまたぎ、ホームに降りてみました。空はまだ真っ暗でした。新聞かなにかを積込んだり降ろしたりしてる駅員さん以外、人はいません。寒かったのを覚えてます。

気がつくと、終点札幌駅でした。周りには誰もいません。到着してからしばらく時間がたったようです。弟を起こしにいかなければ、と思ってましたが、弟は既にホームで待ってました。ふたりでホームの洗面所で、冷たい水で顔を洗いました。そらは青空でした。

改札を抜け、外に出ました。久しぶりにみる大都会にちょっとびっくり。時計台と大通り公園しか知りませんでしたが、僕たちは街を散策するため、荷物一時預かり所を探しにいきました。

北海道旅行も今日で終わりです。出発から今日まで車中2泊(十和田52号・大雪5号)、ユースホステル4泊(昭和新山・えりもニコニコ・然別湖畔・野中温泉)の始めての長旅。国語の教科書に出てた昭和新山、歌にもなった襟裳岬、まるでカナダのような東雲湖(当時は東小沼といった記憶があります)など、一生、心に残る旅になりました。

あとは、札幌から帰るだけ。お土産をたくさん買って札幌駅へ向かいました。

23:18 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

急行 ニセコ

札幌駅の改札口を通ったのは11時頃でした。札幌駅のような大きな駅で、どの列車に乗るのか駅員に申告しないと改札口を通れないのはびっくりしました。急行券を持ってなかった僕たちは、「函館行きの普通列車に乗る」といって通してもらいました。

ホームに上がって少し待つと、急行ニセコが入線してきました。ディーゼル機関車(DD51?)に引かれた、チョコレート色と紺色の混成列車です。扉も自動ではありません。僕たちは自由席の空いてるボックスに席を取り、車掌さんが通るのを待って函館までの急行券を買いました。

この列車は小樽経由の函館行きです。走り出して暫くすると海岸線を走ります。僕が日本海を見た最初です。小樽からは山の中に入っていきました。空は抜けるような青空で、山々の緑は目に刺すように色鮮やかでした。人家などは殆どありません。山と原野と川が続きます。

どこの駅か覚えてませんが、小さなホームだけがある駅で30分ほど停車しました。上り列車が遅れてるようです。車掌さんから「列車の外は空気が美味しいので、是非ともホームに降りて深呼吸して下さい。」みたいなアナウンスがありました。早速僕たちはホームに降りました。澄んだ青空に赤とんぼがたくさん飛んでいたのを覚えてます。

暫くして列車は発車し、僕はウトウト眠ってしまいました。目が覚めると列車は長万部を過ぎて噴火湾沿いを走ってます。僕たちは進行方向右側のボックスだったため、海はあまり見えませんでした。

列車は森を過ぎても引き続き海沿いを走ります。すると、車窓には駒ケ岳が見えてきました。既に夕方にちかく、青空を背景に、茶色く光る駒ケ岳は圧巻でした。車窓いっぱい駒ケ岳でした。列車はずーっと駒ケ岳を右に見ながら走ります。大沼公園あたりでは、駒ケ岳を背景にした青い湖は絶景でした。これで北海道の景色も見納めです。しっかりまぶたに焼き付けました。

そして、列車はとうとう終点の函館駅に到着です。北海道に来たときと同様、長いホームと階段そして桟橋へ続くホームよりも長い跨線橋を通り、青函連絡船の待合室へと向かいました。
13:58 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑