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急行 十和田52号

この上野発常磐線経由青森行き臨時急行列車に乗ったとき、僕は中学2年生でした。

上野駅20番線16:16発車だったと思います。どうして覚えているかというと、僕にとって初めて北海道へ行くという大旅行の始まりで、しかも弟を連れた2人での旅行だったからです。日付は確か夏休み後半の8月23日でした。

母がつくってくれたおにぎりをもって、上野駅20番線についたのは、一番暑い14時ごろ。青森までの約12時間、自由席で席を確保するには、かなり早めにいって並ぶ必要があると思ったからです。ホームの各所には、「16:16 十和田52号青森行き自由席○号車」と書かれた木札がロープから吊ってありましたが、ホームにはこれから北海道へ渡りそうな人はだれもいません。当時の列車案内板はこのような方式で、色々な列車の札がどのホームにもいっぱいぶら下がってました。今では当たりまたえのコンピューターと連動した表示板なんて、当時は夢にも出てこない、想像もつかないものでしたね。

今はもうありませんが、20番線は上野駅で一番東よりの地上ホームで今では地下の新幹線ホームへのエスカレータあたりだと思います。その20番線ホームから外を見下ろすと上野のバイク街でした。バイクの試乗などでスロットルを吹かす人もおり、エンジン音が「うるさいな」などと思ってました。まそか、その3年後自分が中古車のCB50を買いにここまで来るとは全く想像できません。

発車15分ぐらい前に、電気機関車に押された、青色の列車がゆっくり入ってきました。冷房がついた車両なので、飛び上がって喜びました。山手線でさえ、冷房車が来るとラッキーだった時代です。その列車のドアが開き、中に入っても僕たち2人以外にはおじさんがひとりだけ。そのおじさんも途中で降り、結局その車両にずっと乗ってたのは僕たち2人だけ。

16:16定刻の発車です。チャイムが流れ車掌の案内が始まります。仙台とか盛岡など、各駅の到着時刻を聞いていると、本当に北海道へ向け旅立ったとの実感が湧いてきました。早速、母のつくってくれたおにぎりを食べようとしたところ、陽のあたるホームに2時間以上置きっぱなしだったためか、異臭があり食べられません。早めに食べておくべきでした。母には悪いのですが、列車のごみ箱に捨てました。その代わりに何を食べたかは覚えてません。

この列車は常磐線経由。水戸あたりまでは明るかったような気がします。車窓で覚えているのは、新松戸駅付近の、武蔵野線と交差するインターチェンジのような線路があったことぐらいで、その次の記憶は暗くなった平駅のホームに降りてみると雷雲が光ってたこと。多分前日はよく寝てないため、ウトウトしていたんでしょう。その「平」って駅はもうありません。今では当たり前になってる「いわき」の昔の駅名です。

次の記憶は仙台。もうすぐ仙台との案内があると、それまで真っ暗だった外にポツポツと街灯が見えはじめ、次第に街中となってきました。22時過ぎだったでしょうか、仙台駅に到着しホームに出てみると、さかんに工事をしてたのを覚えてます。今考えると、多分東北新幹線の新設工事だった思います。仙台を発車すると深夜、到着直前まで社内を暗くするとの案内があり、その後極端に照明が暗くなりました。一瞬何も見えなくなりましたが、暫く経つと普通の明るさと感じるようになりました。

その先、深夜にもかかわらずどこかの駅で駅弁を買い食べたことと、どこかの駅のホームいっぱいに風鈴が吊ってあったことを覚えてます。青函連絡船の乗船名簿を車内でいつもらったかは記憶にありませんが、書き終えた名簿をもって、青森駅のホームに降り立ちました。

朝の4時ごろだったでしょうか、まだ空は真っ暗でした。僕たちは「青函連絡船のりば」の案内に従い、桟橋へと続く跨線橋の階段を登りはじめました。
13:17 | '76.08北海道 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

急行 すずらん

青函連絡船「摩周丸」が青森駅(港)を出航して3時間。函館への入港はまだ先ですが、下船口に並び始める人が増えていきます。僕たちはめずらしさで、デッキと船室とを行ったり来たり。まだ北海道は見えてきません。空は曇り空。寒くはありませんが昨日の東京の暑さが嘘のようです。

はるか前方に北海道らしき陸地が見えてきました。しばらくして定刻での到着を告げる案内放送があり、僕たちも下船口へ向います。すると既に長蛇の列です。何故だかよく分からず列の後ろに並びます。もうすぐ待ちに待った北海道への上陸。

船が動かなくなってすぐ、並んでる行列がゆっくり動き出しました。まもなく僕たちは函館駅(北海道)に足を踏み入れました。とうとう北海道まできた思うまもなく、下船した人たちはみんな走りだしてます。何故かわからず、僕たちも重い荷物を持って走り出しました。走りながら、これは列車の席をとるためだと気づき、必死で走りました。

函館駅構内は大変広く、長い跨線橋の先の階段をくだり、はるか先にホームが見えたと思ったら、列車はもっと先に停車してるじゃありませんか。目指す列車は、急行すずらん。室蘭本線経由札幌から釧路へ向う気動車です。(僕の記憶によると)僕たちはその日昭和新山ユースホステルに泊まるため、急行すずらんに乗って洞爺まで行くつもりです。列車の先頭車両で、なんとか4人掛けボックス席の窓側2席をとることができました。10分ぐらい、早い呼吸が「はあはあ」止まりませんでした。

発車時間となり、ディーゼルエンジンの音が急に高まって、列車はゆっくり動き出します。いくつかポイントをゴトゴトと渡り、その後スピードが出てきました。初めて目にする北海道の景色の中を走ります。駅をでると市街地はすぐに過ぎて草原っぽいなかを走るようになりました。緑一面の草原のなか、名も知らない紫の花がチラホラ咲いてます。その草原のなかポツリポツリ建っている家の屋根が鋭角で、日ごろ見ている日本の景色とは違います。遠いところへ来たもんだと思いました。

車窓から、姿の美しい山が見えてきました。駒ケ岳です。同じ火山ですが、今までみたことがある富士山とか桜島とかとは違う、かっこいい山だと思いました。なにか北海道っぽいですね。多分、大沼公園のとセットで見たはずですが、そのときの湖は記憶にありません。

駒ヶ岳が後方へ過ぎ去ると列車は、海岸沿いを走るようになります。その海は噴火湾。曇天のためでしょうか、その海に駒ケ岳ほどの印象はありません。しばらくして列車は「長万部」に停車しました。この駅の読み方は、難読のため返って有名で、以前から僕も知ってました。ここで列車は函館本線をはなれ、室蘭方面へ向かいます。

降りる駅の洞爺にまもなく到着との放送があり、網棚から荷物を降ろし、デッキに向います。駅に到着して降りてみると、いつもまにか青空で日もさしてます。停車時間はごくわずか、僕たちが降りるとすぐにエンジン音が高まり紫の薄い煙を残して、急行すずらんは行ってしまいました。降りた人は僕たちを含め10人ほど、僕たちはゆっくり改札口へ向いました。
13:18 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

昭和新山

洞爺の駅についたときは快晴でした。改札口を出ると洞爺湖行きのバスが待っていて、そのバスで洞爺湖畔まで。始めて観る北海道の湖、洞爺湖。中央には島がある典型的なカルデラ湖。何を食べたか覚えてませんが、洞爺湖バスターミナルの前の食堂でお昼ご飯を食べ、それからボートを借りて湖水に乗出しました。

透き通るような青空と、深い蒼の湖水。風はなく音もなく。空を仰ぎ、流れる白い綿のような雲を眺めます。昨日まで居た横浜が嘘のよう。乾いた空気と色の鮮やかさ。北海道は違う世界だと思いました。

洞爺湖畔のバスターミナルからその日宿泊する昭和新山ユースホステルへは、かなり距離があります。普通は昭和新山行きのバスを利用するのでしょうが、まだ日は高く、チェックインの3時にはまだ早いので湖畔を歩いて行くことにしました。弟とふたりで湖を観ながら歩きます。

暫く歩くとゴーカート場がありました。その誰もお客さんのいないゴーカート場で弟と一緒に1周、僕だけでもう1周。幼稚園の遠足で多摩テックに行って以来、僕はゴーカートに目がありません。

結局、ゆっくり歩いて1時間も掛からず昭和新山ユースに到着。まだ時間は早かったので、僕たちはユースのレンタサイクルで昭和新山へサイクリング。

湖畔を走るのは快適でしたが、途中から上り坂。チャリを押して歩きましたが、風が爽やかだったことしか覚えてません。よほど爽快だったのでしょう。昭和新山は、小学校の国語の教科書で習って知ってましたが、実際に観るとその大きさにビックリしました。

畑が盛り上がりいつの間にか山になった火山とは思えません。それも個人所有の山だとか。三松正夫さんという方が持ち主だそうで、早朝洞爺湖畔を散歩してると杖をついて髭をはやした老人、三松さんに会えるかも。とユースのヘルパーさんが云ってました。

それから有珠山のロープウェーに乗って有珠山中腹へ。洞爺湖が箱庭にように観えるパノラマでした。行ったのが遅かったのか、帰りのロープウェーは最終便。ユースへ戻り、早速温泉に入りました。ここは壮瞥温泉と云うそうです。昨日は夜行列車、熱い温泉に浸かって、ことのほかさっぱりしました。

このユースは僕が会員になって2泊目。最初は1年ほど前に泊った伊東ユース。ここ北海道はその時の伊東とはパワーが違います。全国から夏の北海道に集まってきてる若者のパワー。それはもうすごいと、中学生だった僕は思います。ミーティングのゲームとか。

22時頃がユースの就寝時間。ユース特有のスリーピングスーツに包まれて2段ベッドに入ります。ウトウトしてると、同室のふたりがお金計算と明日の予定を栃木弁で話し合ってます。なんとも眠気を誘うホノボノとした会話でした。

23:03 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

日高本線

昭和新山ユースの朝は、普通より早い朝食で始まりました。同じような人たちと乗り合いタクシーで洞爺駅へ向かい、早い列車に乗るためです。昨日と違う、今にでも雨が降りそうな空のした、ユース前から満員のタクシーに乗ると、洞爺駅まではあっという間に到着。

駅についた僕たちは、早速改札口に並びます。何故かみんな並んでいたからです。大都会圏以外の駅では、列車が来ないと改札が始まらないということを初めて知りました。改札が始まりホームで待ってると、ディーゼル機関車を先頭に数両の古い客車の札幌行き普通列車がやってきました。

ドアを手で開けて車内に入ると、誰もいない木造のボックスシートが並んでます。改札口に並ぶ必要など全くありません。そのひとつに僕たちは腰掛け、網棚に荷物をのせると列車は発車。その後、僕はいつの間にか寝入ってしまい、どのぐらい時間が経ったのか目が覚めた時は東室蘭に停車中。周りを見ると車内は超満員でした。

それから列車が走り出すと、再びウトウト。降りなければならない苫小牧駅に近づくと、何故か目が覚めました。列車を降りて苫小牧駅前に出てみます。海岸まで歩こうかとも思いましたが駅前の地図でみると海岸は工場地帯。海が見られるのかどうか分からないので、駅前にあった大型スーパーに入ります。たしか、「ヨークマート」。時間は10時の開店直後、何故か地下のファストフードコーナーでカレーライスを食べました。

日高本線の苫小牧発、様似行きディーゼルカーが発車したのは11時すぎだったと思います。僕たちは駅弁を買ってガラガラのディーゼルカーに乗りこみました。それはタラコ色の2両編成。

天気は朝から曇りで時々観える海は鉛色。この列車には3時間以上乗ってたような気がします。鉛色の海、霧のため乳白色になった草原が記憶に残りました。その草原は、今考えると競走馬を育ててる牧場だったと思います。

様似に到着したときは既に夕方。駅前からは国鉄バスです。日高本線の終点についてディーゼルカーを降りてみると結構たくさんお客さんが居ました。襟裳岬行きのバスは1台では全員座りきれず、2台目のバスがすぐにやってきて、僕たちはそれに乗りました。

すぐに海沿いの道を走り出します。右手の太平洋を見ると鉛色ですが、空と海との境界線は雲が無く明るくなってます。明日は晴れの予感。僕たちは襟裳岬まで行かず、えりも町でおりました。ニコニコ旅館というユースホステルを予約してました。ユースに着き、夕食まではまだまだ時間がありました。散歩でもすれば良かったのですが、ずっとマンガの単行本を読んで過ごしました。

翌日は真っ蒼な空。最高の天気。国道沿いのバス停で、襟裳岬行きのバスを待ちます。

バスに乗ると、観光案内がテープで流れてます。山本コータロー&ウイークエンドの「岬めぐり」が流れてました。確かに、ここ襟裳岬を知って是非行ってみたいと思ったのは、当然森進一の「襟裳岬」ですが、何故か「岬めぐり」がビッタシ合うところ。
「襟裳岬」は吉田拓郎の作品であることはあとから知りました。

襟裳岬は、日高山脈が太平洋に沈んでいくところ。と紹介されてましたが、正にその通り。山脈が海に消えていくところに迫力があり、人などは近づけない荒涼とした風景でした。

20:29 | '76.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

広尾線

日高山脈が太平洋へ沈み込む襟裳岬の景色を観たあとは、国鉄バスで広尾線の広尾駅へ向かいます。超快晴のその日、バスは満員でしたが車窓からは綺麗な太平洋の蒼い海が望めました。その浜は百人浜といいます。バスの車内のテープによる観光案内では、なんでも江戸時代の船が難破して百人以上の溺死体が打ち上げられた浜だとか。

その先の海沿いの国道は黄金道路と云います。日高山脈の断崖絶壁と太平洋との隙間の海岸線に道路をつくったため、風雪や波の被害のため年中補修。お札を敷き詰めて作ったぐらいお金が掛かる道なので、黄金道路という名がつきました。

襟裳岬から1時間ほどで広尾駅前に到着。バスから降りた人たちは真っ先に改札口に並びます。帯広行きの広尾線の列車に座るためです。昨日の洞爺や苫小牧で改札が始まる前に並んだ経験から、「並ばなくても絶対座れる」と思いました。特にすることはありませんが、僕たちは並ばずに待合室のベンチで改札が始まるのを待ちました。改札が始まってびっくり、帯広行きのディーゼルカーはたった1両。僕たちは帯広までの長い道のりをデッキで立ってることに。

広尾線は当時、「幸福から愛国行き」の切符で有名でした。幸福駅も愛国駅も駅前は観光客でいっぱい。混んでるディーゼルカーのデッキから、ちょっとだけその光景が見えました。そのディーゼルカーが帯広に到着したのは昼過ぎ。駅にある日本食堂でカレーライスを食べました。当時の主だった駅には必ず日本食堂があり、全国的に同じメニューで営業してました。あまり美味しくなかったのを覚えてます。

帯広駅前からは然別湖畔行きの十勝バスです。そのバスは十勝平野をひたすら北へ走ります。その広い平野が終わったところから、道はダートになりました。大型バスは十人もいない乗客を乗せて、その狭い砂利道をゆっくり登っていきます。その砂利道を登りきったところにあるのが扇ヶ原の展望台。そこでバスは10分の休憩。バスから降りて展望台から見た十勝平野は、それはもう広大で、まさに北海道っていう景色でした。

それからバスは山道を暫く走り、然別湖畔の大きなホテル前に到着。僕たちは往復はがきで予約してあった然別湖畔ユースに。そのユースのPさんは当時、国鉄のOB。ミーティングでは昔の蒸気機関車時代の話をしてくれました。そのPさんの勧めで、翌日はユースでお弁当を作ってもらい、湖畔の反対側へハイキングに行くことに。

翌日も快晴。朝食を終えた僕たちはユースに荷物を預かってもらい、湖の遊覧船に乗ります。対岸の入江で遊覧船をおりて20分ほど原生林のなかを歩くと、素晴らしい湖が現れました。東小沼と云います。(別名東雲湖というのは後から聞きました) 真っ蒼で小さな湖の向こうは草原のような熊笹の斜面。その上にも蒼い空と白い雲。この世の光景とは思えない景色。行ったことはありませんが、何となくカナダのようだと思いました。ほんとに感動しました。

それから僕たちは湖畔の船着き場に戻り、遊覧船でユースのある湖畔に戻りました。途中にもう一か所停まった小さな桟橋では、山田温泉ユースを出発するホステラーへのヘルパーさんたちの盛大なお見送り。そのパワーにも圧倒されました。

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