急行 八甲田

上野駅の地上ホーム13番線から19:10に発車し、東北本線を青森までひたすら走るこの列車に乗ったのは、東北新幹線が開通した翌年の3月中頃のことでした。バイトを早めに切り上げていったん家へ帰って支度をしてから、僕が上野駅の13番線についたとき、既に青い列車は入線してました。小雨の降る寒さの強い日でした。

どうして、まだ真冬の北海道に行く気になったかというと、学校の友人の勧めです。なんでも冬の北海道を半月も歩き回ったそうで。で、その友人から神保町の庄屋で、色々北海道の話をきいたのは、出発の三日前。

天都山からみるオホーツクの流氷、釧路湿原を見るなら岩保木、ダイヤモンドダストとは・・・、乙女の涙を見に行くには、など。その上、周遊券には冬季割引があり、学割だと20日間有効で18,000円。それに道内は特急乗り放題。その話を聞いてどうしても行きたくなってしまいました。

それからアルバイトの予定を変更してもらい、どうにか10日間ほど時間ができました。そして、冬季割引の北海道ワイド周遊券を買って、その日の夜、上野駅に到着しました。

急行八甲田は、約12時間かかって翌朝の7時ごろ青森駅に到着。8時頃出港の青函連絡船に乗れば、12時頃に函館駅。接続するディーゼル特急に乗れば16時過ぎには札幌に到着します。最も安い料金で、その上最も効率よく北海道へ行く方法でした。

ホームから、急行八甲田の青い客車の社内をうかがい、空いてるボックスを探しながら、先頭車両の方に向かって歩いていきます。先頭車両まで行って、空いてるボックスはありません。何両目かは忘れましたが、進行方向右側のボックス、後ろ向きの窓側の席に座りました。

当時、列車に乗ると煙草を吸い始めるのが普通で、僕も発車前、缶コーヒーを開けて煙草に火をつけました。その日の夕食をどうしたかは、覚えてません。列車は発車時刻になると、ゴトゴトとゆっくり走りだしました。車掌さんは延々と青森までの停車駅の到着時刻を告げてます。到着案内が終わるころには、尾久をとっくに通過してます。

発車するとしばらくは外を眺めてましたが、いつの間にか眠ってました。気がつくと列車は停まっていて、ガラス窓の外側には雪がいっぱいついてました。そこは白河駅。まだ福島県に入ったばかり。

どこの駅かは忘れましたが(多分仙台駅)、その駅を発車すると照明が暗くなりました。そのあと、急行八甲田はひたすら闇夜を疾走します。ときどき、笛のような物哀しい警笛を鳴らしながら。

4人掛けのボックスは、僕ともうひとりはオジサンでした。オジサンも僕も、脚を通路に投げ出しシートに仰向けになって眠ります。ときどきガラス窓を通して入ってくる寒さのせいで目覚めます。そのたび、ふとん代わりのダウンジャケットを頭からかぶりました。

その逆もあり、夜が深まると暖房の効きすぎのため、暑くて目が覚めたこともありました。

朝方に目が覚めると、外は明るくなってきてました。一面の銀世界でした。そのうえ、あとからあとから雪は降り続いてます。しばらく雪を眺めてました。

朝7時ごろ、青森駅に到着。列車から降りると、関東地方とは違う強烈な寒さに驚きました。
19:00 | '83.03北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

特急 おおとり

終点、青森駅へ到着するとすぐに青函連絡船の待合室へ。十分暖かいとはいえませんが、外の寒さに比べれば雲泥の差。モウモウと白い湯気を立ててる立食そば屋さんがありました。そこから漂う美味しそうなだし汁の香りに誘われ、熱いかけそばを一杯食べました。

そばを食べ終わると乗船名簿を書き、それも終わると乗船まで何もすることはありません。雪のチラチラ降る外を見ながら煙草をふかします。今では考えられませんが、当時は駅構内のどこにでも灰皿がありました。

青函連絡船に乗船するとき雪はやみ、曇り空もうっすらと明るくなってきました。荷物を座席におき、デッキに出て出港風景を眺めます。ドラがなり「蛍の光」がながれ、汽笛を鳴らして船は桟橋を離れました。

しばらくは、右手に下北半島左手には津軽半島を見て連絡船は北上します。揺れはほとんどない船旅です。両脇の半島が終わると多少波が高くなり、ちょっと揺れを感じるようになりました。

函館入港まで1時間を切ると、下船口には行列ができ始めます。僕も並びました。連絡船が接岸して下船口があくと、行列は進みだし函館駅構内を走りだします。長い長い連絡橋を、重い荷物を持ってめいめい自分のペースで走ります。

300mほど走ったと思います。僕はホームに停車してるディーゼル特急に乗り込み、右側の窓側の席を確保。この特急はたしか千歳線まわり網走行きの「おおとり」でした。函館駅を発車すると、空はいつの間にか快晴。ディーゼル特急は雪原の中をグングン加速します。

青空に真っ白な駒ケ岳が望めるようになったのは、函館を発車してからまもなく。その雄大な景色に息を飲みました。凍った大沼の向こうの駒ケ岳、雪原の向こうの駒ケ岳、列車の進む方向が変わるので、駒ケ岳は前へいったり後ろへいったり。

駒ケ岳が視界から消えると、次は噴火湾。波のない青い海原を見ながら、ディーゼル特急は快走します。長万部・洞爺・東室蘭・苫小牧と走ります。広い空港の脇を通ると千歳です。ここらあたりから原野ばかりでなく、住宅が目立つようになります。次第に街はきれなくなり、右側から旭川からの函館本線の線路が合流。

豊平川を渡ると札幌の街が近づいてきます。ディーゼル特急はスピードを落とし、今と違う地上ホームに到着しました。地下通路を通って改札口をでると駅ビルの地下街。階段を昇り地上へ出ると埃っぽい街でした。当時はスパイクタイヤが全盛でした。

駅前のユースホステル協会へ行って会員証更新。そしてすぐ電話したのはライオンズ。地下鉄とバスを乗り継いで、宮の森へ。昔でいう70m級ジャンプ台のそばのユースホステルへ到着。快晴の青空に夕焼けが綺麗でした。
10:45 | '83.03北海道 | comments (1) | trackbacks (0) | edit | page top↑

L特急 ライラック

札幌ライオンズユースの朝食はジャーマンポテト。茹でたジャガイモを潰し、卵であえてバターで焼き上げたもの。あまりにも美味しく、いくらでも食べられました。外は快晴。バス停まで坂道をおりていきます。青空とまわりの雪の白さがまぶしいくらい。

バスと地下鉄を乗り継いで、札幌駅まで。今日これから行くところは北海道大学。本当は僕が一番入りたかった大学。共通一次の自己採点であきらめました。踏切を渡って駅の北側へ。いつのまにか空は曇り空。北大の正門まではすぐでした。正門から北大に入ると、信号機があったのには驚きました。

ここからポプラ並木までは、15分ぐらい歩きました。残念ながら並木の街路は立ち入り禁止。遠くから大きなポプラの並木を眺めます。すると、チラチラと小雪が舞ってきました。気温も下がってきて、朝方の快晴の空が嘘のよう。

北大を出てすぐそばの喫茶店へ。確か名前は「さもんじ」。北大生になった気分で、単行本のマンガを見ながらホットを啜ります。それから大通り公園やススキノなどをブラブラ。こっちの人たちは雪が降ってても傘はさしません。手でほろうと乾いた雪はすぐにとれます。

昼過ぎになって、本日の宿を決めました。塩狩温泉ユースです。ジンギスカンで有名とのこと。そしてラーメンは札幌駅の地下飲食街で食べました。多分普通の西山ラーメンですが、すごく美味しかった。

札幌駅へ戻り、ほぼ1時間に1本走ってるエル特急ライラックに乗ります。ライラックは室蘭と旭川の間を走る電車特急です。何時発かは忘れましたが、札幌駅に室蘭からの電車が到着すると、大半のお客さんは降り、変わって同じぐらいのお客さんが乗ります。座席を転換させる人が大半。ライラックはここで進行方向が変わります。

停車駅はうる覚えですが、江別・岩見沢・美唄・滝川・深川 そして終点旭川。ライラックが札幌を発車したとき、雪は本格的な本降り。窓の外は真っ白で何もみえません。となりに座ったオバサンがしきりに話しかけてきます。昔は今と違って、家の中が寒くて冬は大変だったとか。そのオバサンは美唄で降りていきました。

そのあとも雪はだんだん激しくなり、これが吹雪というものでしょうか。全く何も見えなくなりました。長いトンネルをぬけて、雪のなか微かに石狩川が見えてくると旭川はもうすぐ。特急電車は旭川駅に到着しました。

塩狩へ向かう宗谷本線の各駅停車発車までは2時間ほど。一度改札を出て、駅前をブラブラ。雪は小降りになってました。買い物公園などを歩き、駅ビルエスタで時間を潰します。

宗谷本線の名寄行き普通列車は、高校生でいっぱい。暗くなった雪景色の中をゆっくり走ります。新旭川・永山・比布と、ディーゼルカーは停車するたびに、高校生は降りていき、蘭留を発車したとき、社内はひっそりと静まってました。

エンジン音が高まり、塩狩峠への登り坂を進みます。塩狩駅に到着すると降りたのは僕ひとり。駅舎を出ると雪は止んでました。
10:04 | '83.03北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

塩狩峠

天塩と石狩との国境にある峠が塩狩峠です。旭川の北約30kmにあるこの峠の名前を最初に知ったのは、三浦綾子さんの同名小説でした。ご存知の方もたくさんいらっしゃいますが、連結器が外れたために坂を逆走しはじめた客車を、身を投げ打って停めた鉄道員の物語です。

僕が始めてそこへ行ったのは1983年の3月、粉雪の降る冷え冷えとした夕方でした。「塩狩温泉ユースは温泉があるし、夕食はジンギスカンが腹いっぱいたべられる。」そういう話を聞いたからでした。

塩狩へ行くディーゼルカーは、旭川から発車します。最初は高校生で賑やかだった車内は、永山、南比布・比布・北比布と駅に停まるたびにだんだん寂しくなります。そして蘭留からは登り勾配になり、ひときわディーゼルエンジンの唸りが高まります。そして、エンジン音が静まってきたころ塩狩駅に到着し、降りたのは僕一人。

駅から歩いて3分ほどにあるそのユースホステルは、温泉旅館を併設してます。というか、温泉旅館の一部をユースホステルとして営業してました。その日ホステラー(宿泊客)は10人もいません。聞いた話の通り、清潔な広い温泉にゆったり浸かり、ジンギスカンを腹いっぱい頂きました。

翌日の朝は風のない快晴。始めて見るダイヤモンドダスト。国道40号線がすぐそばを走ってますが、塩狩峠は森林に囲まれた寂しいところでした。峠というより未開の原野という感じです。ごくたまに、坂を登ってきては一休みするディーゼルカーや貨物列車のエンジン音が雪原に響きます。

その日の昼から僕は大阪からきたBさんとIちゃん、東京からきた鉄のDさんと4人で和寒へスキーに行くことになりました。和寒は塩狩峠を天塩側にくだったところにある小さな町です。和寒駅の裏側にある、リフトが3本ぐらいしかない小さな家族スキー場ですが、最高の天気にパウダースノー。Gパンで滑りましたが、転んでも濡れません。山の上から雪景色を眺めたり、地元の子供たちとそりで遊んだり、最高の休日でした。

あまりにも居心地が良く塩狩温泉ユースには、結局3日間滞在させてもらいました。特にヘルパーのKさんとは意気投合し、それから学校を卒業するまで、北海道へ行ったら必ず会うようになりました。士別の実家に泊めてもらったり、廃校になった塩狩小学校で暮らしたり。
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会社に入った年の秋、Kさんから電話がありました。あの日、塩狩峠で逢ったふたり、鉄だったDさんと大阪からきてたIちゃんが、その日横浜で結婚するといいます。Kさんは式に招待されて北海道から横浜にきたとのこと。当時横浜に住んでた僕は、早速式場のある中華街に出かけました。KさんだけでなくDさん、そしてIちゃんとも、ちょっとでしたが会うことができました。とても幸せそうでした。

でも、彼らとはそれっきり。塩狩で会ったみんなは元気でやってるでしょうか。最近では和寒まで高速道路があるといいます。あの塩狩峠はいまでも昔のままなのでしょうか。一度は行ってみたいと思います。
12:02 | '83.03北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

サロベツ原野

三浦綾子さん原作の「天北原野」をテレビドラマで見たのはいつのことでしょうか。北大路欣也や藤岡琢也、松坂慶子が出演してました。道北や樺太の自然、ロシア人、鰊漁などが記憶に残りました。とりわけ、道北の自然と「サロベツ」という名前が印象に残りました。

1983年の3月、始めて冬の北海道へ行ったとき、どうしても行きたかったのがサロベツ原野です。旭川始発の稚内行き急行礼文に、僕が乗ったのは和寒からでした。駅の売店で朝食の菓子パンを買って列車(ディーゼルカー)に乗り込みました。士別・名寄・美深・音威子府と列車は雪原の中を北上していき、天気は晴れたり曇ったり、そして雪が降ったり、めまぐるしく変わりました。

そして3時間以上かかって、列車は豊富に到着しました。豊富駅から海岸沿いの稚咲内へ行くバスは、一日に数本。次のバスまで2時間以上あるので、仕方ないので僕は海岸方面へ向けて歩き出しました。そのときの天気は快晴でしたが、北風がすごく強い日でした。

宗谷本線の踏切を渡ってすこし歩くと、あたりは一面真っ白な原野となりました。真っ直ぐ西へ向かう道路以外、雪原しか目に入りません。目指す海岸線は見えませんが、遠くに利尻富士がポッカリ浮かんでいました。僕は西へ向かって歩いているので、北風の当たる顔の右側だけが痛いほど冷たくなり、左側は逆に、ほてってきました。 北海道の、道北の寒さを痛いほど感じました。

1時間ほど歩いたでしょうか、遠くにバス停らしきものが見えてきました。近づいて見てみると、「原生花園」というバス停でした。当然そのあたりも見渡すかぎり雪原です。夏に訪れたら、きっと素晴らしいところなのでしょう。

それから暫く歩いていると、正面から雪煙がこちらに向かってきます。だんだんものすごい雪煙になってきます。それは除雪車でした。雪まみれになることを覚悟していると、除雪車は僕の前だけ除雪を止めて通り過ぎてくれました。助かりました。

歩き続けて体が芯から冷えてきたころ、集落がありました。「豊徳」と表示のあるバス停と、数軒の人家、そしてお店が1軒ありました。よろず屋とでもいうのでしょうか、その集落に1軒だけある何でも売ってるお店です。そのお店の前に置いてある自動販売機で、僕は缶コーヒーを買いました。

するとお店のガラス戸の内側から、おばあさんが手招きしてます。誘われるまま僕は中へ入りました。するとお店のなかは、極楽のような暖かさです。おばあさんにお礼をいい、暫く話をさせてもらいました。おばあさんは、終戦まで樺太にいたそうです。「樺太はここよりずっと寒い」といってました。それと「この辺でストーブを焚かない日は年に何日もない」ともいってました。道北の自然の厳しさに驚きました。

僕は「こんどは夏にきます。ありがとうございました」とおばあさんにいって、そのお店を出ました。僕のサロベツ散策もそろそろ時間切れです。バス停で時間を確認すると、5分ほどで豊富駅行きのバスがきます。海辺まで行けなかったのは本当に残念でした。

帰りのバスですが、乗ってみると乗客は僕の他には1人だけ。発車すると、ほんの15分ほどで豊富駅に到着しました。あっという間でした。豊富の駅で30分ほど待って、札幌行き急行列車に乗りました。その頃天気は時折雪が降る曇り空となり、列車から見る景色が本当に寒々としてました。雪原、防風林、凍った沼や川。

停車時間がかなりあったので、音威子府駅のホームにあるそば屋さんで、かけそばを食べました。熱い汁と黒いそば。美味しかったです。お腹から体が温まりました。有名な駅そばのようで、昔テレビで放送された、との貼り紙がありました。

列車が和寒駅についたときは、真っ暗でした。(急行は塩狩に停まりません。ひとつ手前の和寒で降りて、友達になったヘルパーの好意で迎えにきてもらうことになってました) 塩狩温泉ユースから迎えの車を待ってるとき、ふと温度計が目につきました。-15℃度でした。サロベツの体感温度に比べたら、まだまだ温かいと思いました。

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