二晩かけて札幌へ

急行十和田
臨時急行十和田に乗るため上野駅についたのは22時をまわってました。低いホームの18番線あたりだったと思います。その臨時急行は常磐線経由の青森行き。空いてる車内では当然1ボックスを一人じめ。煙草を吸いながら窓の外を見てると、その列車は静かに発車しました。

その日、19時までバイトしてた僕はすぐに寝入ってしまい、目が覚めたのは間もなく仙台に到着するというアナウンスに起こされて。午前5時前に急行十和田は仙台駅に到着し、僕はそこで列車を降りました。仙台で降りても何もすることはないのに。ただ、まっすぐ北海道に入っても面白くないと思っただけ。ただそれだけ。

急行くりこま
夏の夜のまだ明けきらない仙台駅に居ても何もすることもない。ただ待合室の椅子に座って煙草を吸ってるだけ。2時間ほどそうしてました。7時過ぎに発車する仙台発盛岡行きの、その急行に乗ったのは中尊寺に行くため。北海道周遊券で、北海道だけでなく、ちょっと東北も歩いてみたかった。

平泉で急行くりこまを降り、中尊寺を目指して歩きだします。駅前を盛岡方面へ歩くこと30分ぐらい。中尊寺の門前に到着。金色堂というのはどういう建物か見たかったはずなのに、僕は中尊寺には入りませんでした。理由は拝観料が高かったから。ただそれだけ。何か異常に高く感じた。50円ぐらいかと思ってたら、その10倍ぐらいした。有名な寺社の拝観料の相場は、だいたいそのぐらいだったのだろう。僕が知らなかっただけ。でも何となく腹が立った。

平泉の駅に戻る途中、どの家でも甲子園の高校野球大会を見てるようだった。開け放たれた窓から実況中継が良く聞こえた。何のためにわざわざ平泉まできたのか。そのまま十和田に乗ってれば、今頃は青函連絡船だったのに。

盛岡から青森
平泉からは再び急行くりこまに乗りました。でももしかしたら、快速だったかも知れません。小豆色のツートンカラーの交直両用の電車急行の車両でした。ついたところは盛岡駅。上野からここまで14時間も掛かった。大宮から新幹線にのれば3時間とちょっとのところを。駅前から真っ直ぐ歩き、北上川を渡って繁華街を歩く。夏の日の午後、誰もが目的をもって歩いてるようだ。用もなく、ただ歩いてるのは僕だけだと思ったら、何か空しくなってきた。

市街地から盛岡駅まで戻り、駅前の中華屋でチャーハンを食べた。そういえば、昨日の夜バイトを終えてから、まともなものを食べてなかった。盛岡駅からは青森行きの急行列車にのりました。(これも快速だったかも知れません)夕方の田圃のなかをひたすら走り続ける列車でした。暗くなったころに青森駅に到着。19時代に出港する青函連絡船には余裕で間に合いました。

函館本線夜行列車
青函連絡船が函館港に入港し、ゲートが開くといつもの駆けっこの始まり。下船口の先頭で待ってた僕は、函館発札幌行きの、そのドン行列車には余裕で座れると思ってました。しかし、ホームに降り立つと驚きました。この列車は内地からの連絡船など関係なしに既に満員です。みんな、缶ビールとかつまみとかをたくさん買って、既に宴会を始めてるグループがたくさん。僕は通路側の後ろ向きの席を、何とか見つけることができました。

その列車は立ってるお客さんがたくさんいる状態で発車しました。僕はホント幸運だったようです。そのまま札幌まで行けば良かったのですが、僕はその列車を長万部で降りてしまいました。札幌に朝着くより、室蘭へ寄っていこうと思ったからです。暫く、長万部駅の待合室で千歳線の始発を待ちました。

測量山
室蘭についたら、本当は地球岬に行こうと思ってました。でも測量山も捨てがたい。北海道の測量発祥の地であることは、「トラベルマンの北海道」に書いてありました。

「トラベルマンの北海道」とは、北海道のガイドブックですが、普通のものではありません。手書きをコピーして製本したようなやつで、たやすく手に入れることはできません。僕はどこかのユースのフロントにあったやつを買いました。500円だったと思います。中身はほんとうに北海道を愛して歩き回った人が書いたような、普通ではない、当時の僕たちにとって魅力あるところが数々紹介されてました。

測量山への坂道は驚くほどの急勾配でした。思いリュックをかついでゆっくり登っていきます。駅から1時間ほど掛かったと思います。その山頂から眺める景色は絶景でした。多分、苦労して登ったからでしょう。湾内の重工業地帯、太平洋側の自然の海、両方が共存した室蘭独特の半島の全貌が見渡せます。

測量山からおりると僕は駅へ戻り、始発のL特急ライラックに乗って札幌へ向かいました。札幌では、今年就職して札幌に住んでいるバイト先の先輩が待ってくれてるはずです。
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23:35 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

ススキノの先輩

札幌駅の南口改札を出ると、先輩Yさんが待っててくれました。その日は平日にも係わらず、Yさんは僕のために会社を休み、札幌駅で待っててくれました。まずはタクシーに乗せられYさん宅へ。ススキノのはずれにある高級マンションでした。驚きました。

荷物を置かせてもらい、夕方二人でススキノに繰り出します。北海道の郷土料理屋から始まり、小さなスナックまで。大変美味しく、大変楽しく過ごさせて頂きました。横浜のシウマイしかお土産に持ってこなかった僕に、Yさんには相当お金を使ってくれました。僕が「少しは・・・」と云っても、一切受け取ってくれません。その晩はYさんのマンションに泊めてもらい、翌朝早くお礼を云ってYさん宅をあとにしました。

ススキノから地下鉄で札幌駅まできて、北海道大学の構内を何となく歩き回りました。ここは、僕が一番行きたかった大学。共通一次の点数は全く足りませんでしたが。それから札幌駅へ戻り、網走行き特急オホーツクに乗りました。

北海道の原野をひた走るディーゼル特急。その自由席から移り行く景色を飽きもせず見てました。特急列車は石狩平野を走りぬけ、旭川の先、上川あたりからは山の中へ入っていきます。石北峠を越えると北見地方です。遠軽はで進行方向が変わり、暫くいくと目的地、留辺蘂(るべしべ)に到着です。

特急が停まるとはいえその寂しい駅に降り立ち、駅の裏にあるユースホステルに向かいます。ユースに到着すると、夏のトップシーズンにも係わらず、宿泊客は5人しかいません。そのなかの自衛官と色々話をしたのがいい思い出です。僕みたいに気楽な勉強もしない学生とは違い、日夜訓練に励み、短い休暇をもらいひとりで旅してるとのこと。何となく劣等感を感じました。
14:38 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

留辺蘂から富良野、そして塩狩

留辺蘂で迎えた朝は、今にも雨が降りそうでした。その日僕はディーゼル特急で旭川まで戻り、富良野線で富良野へいきます。もうすぐ合流する学校の仲間たちと麓郷散策する下見のためです。麓郷は「北の国から」で有名になったところですが、このころはまだこの地を訪れる人は少なく情報がないため、どうやっていけばいいか確認するためにその一日を費やす予定でした。

富良野から麓郷までは10km以上あります。駅の近くにレンタサイクル屋を見つけ、国道を布部に向かって走ります。布部からは麓郷へ向けた登り坂。かなり厳しい道のりでした。そのうち雨が降り出し、坂もきつくなります。雨は本格的になってきて、何とか麓郷市街の中心まで辿りつきました。その先は、五郎の丸太小屋や廃屋へ行くには砂利道のため、強い雨が降ってるこのときは諦めざるを得ませんでした。

富良野のレンタサイクル屋へ戻った時はびしょ濡れ、預かってもらってたリュックサックをかついて、雨の中を駅へ向かいます。富良野-麓郷を自転車で往復するだけで3時間以上も掛かりました。駅の待合室でリュックサックからタオルを取り出し、シャツやGパンを拭きますが、一度冷えた体はなかなか震えが止まりません。

服は乾いてませんが、札幌行き特急が来るというので、とりあえずそのディーゼル特急に乗りました。空知川に沿って走るその電車から見た景色は今でも忘れません。厚い雲が割れてきて、そこからシャワーにような陽が降り注いできました。まるで天地創造の映画を見てるような、そんな景色でした。

その特急を滝川で降り、下りの旭川行き電車特急ライラックに乗り換えます。その電車が旭川へ到着すると、その日泊る塩狩温泉ユースへ宿泊の予約を入れました。

夕方、半年ぶりに塩狩温泉ユースに到着。前回の冬に来た時は温泉旅館と同じフロントでしたが、夏の今は、ちゃんとしたユースホステルのフロントがあります。三角屋根のいかにもユースという感じ。受付の人は知らない人たちでした。普通の部屋(8人部屋)へ入り荷物を降ろし、温泉に浸かります。そして夕食のジンギスカンを食べてるとき、半年前友達になったヘルパーのKがやってきました。

そこで待遇が一変。荷物も一般部屋からヘルパー部屋に移し、夕食後のミーティングが終わった消灯後、ひそかにヘルパー部屋にみんな集合。そこで新しい仲間を紹介され、楽しい宴会が始まりました。
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14:39 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

飛行場前駅

本多勝一さんの作品だったと思いますが、北海道のことを書いた本のなかに飛行場前駅のことがありました。

その駅は天北線の駅で、オホーツク海沿岸にあるとのこと。その辺りは猿骨とか猿払など不気味な地名であること。駅前には旧日本軍の飛行場跡地がいまでも確認できること。そして、鉄道敷設や飛行場建設など、不毛の地の開拓のため、朝鮮半島から罪もない方々が強制的に連行されてきたこと。などが書いてあり、非常にその地に興味を持ちました。

急行利尻は札幌と稚内との間を結ぶ夜行急行列車で、当時は毎日1往復運行されており寝台車も連結されてました。僕がその列車に乗ったのは始発駅の札幌駅からでした。

当時僕は塩狩に暫く滞在しており、夕方塩狩を発ち札幌から急行利尻に乗って早朝未明の音威子府で天北線の始発を待って、そこへ行くという計画を立てました。旭川駅の待合室で待ってても良かったのですが、北海道ワイド周遊券をもってた僕は、L特急ライラックで迷わず札幌まで。

当時の札幌駅は今と違って全て地上ホーム。駅ビル地下1階の名店街でラーメンを食べてから早めにホームへ行き乗車口に並びましたが、難なくボックス席を占領。ホームのKioskでサッポロビールを買いました。

22時ごろに列車は発車し、北を目指します。ビールのおかげですぐに眠くなり、気づいたときは塩狩を既に通過しており、名寄駅に停車してました。音威子府到着は3時ごろだったでしょうか、4時過ぎに発車する天北線の始発をストーブの灯った待合室で待ちます。僕と同じように始発を待つ人が10人ほどいました。半分は地元の方と見受けられます。

天北線に乗っても、外の闇に変わりはありません。冬のような寒さに、車内には暖房が入ってました。飛行場前駅に到着しても真っ暗で何も分かりません。短いホームがあるだけのその駅で降りるのはやめ、その三つ先の芦野駅で僕はディーゼルカーを降りました。ちょうど夜から朝へ変わる時刻、駅前から僕はオホーツク海へ向けて歩き出しました。

見渡す限り牧場の中にある一直線の道。牧場と道路の間には柵があり、その向こうには放牧されてる牛(ホルスタイン)の群れ。僕が歩いていると、牛が1頭、また1頭と僕の後をついてきます。気が付くと、僕のうしろ数メートルのところについてくる牛は10頭を超えてます。柵があるとはいえ、そこには僕と牛達しかいません。とうとう僕は恐怖に駆られ走り出しました。すると牛達も走って後をついてきます。これほど怖い思いをしたことはありません。牧場の敷地から離れる海岸線の国道まで、僕は走り通しました。

海岸線に出ると、鉛色の海に白い波。風が強く、そらも同じく鉛色。海岸から内陸を見渡すと、草原と沼地と湿地帯。海岸線を走る国道と牧場の柵以外に人工物はなく、日本とは思えない景色です。国道から小路を降りて海岸にでます。すると、その海岸は砂浜でなく、ホタテ貝の貝殻で成り立ってました。

何キロか、オホーツク海を左に見て国道を歩きます。まだ7時前ですが、国道の補修工事を数人の作業員でやってました。「この人たちは何処からやってきたんだろう」と思うほど、周りには何もないところです。それと同じように、作業者から見れば僕の存在の方が異常だと思われ、ビックリした目で僕をみてました。

途中から駅を目指して内陸の道へ。沼と湿原のなかの道を行きます。かなりの時間歩いて猿払駅につきました。嬉しいことにここには駅舎もあるし駅員さんも一人いました。駅員さんは小さな寒い待合室で座ってる僕を事務室に誘ってくれました。赤々と燃えるストーブが体を温めてくれます。お茶まで頂きました。駅員さんと何を話したかは覚えてません。上り列車が近づきベルがなると、僕はお礼を言って事務室を出ました。

飛行場前駅はその二つとなりの駅でした。小さな20mぐらいのホーム以外何もない駅です。そして、そのホームの向こうに明らかに滑走路と思われる平らな、細長い、広大な草原がありました。
23:36 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

美瑛・富良野、然別から札幌

塩狩温泉で数日過ごした僕は、暫くここを離れることになります。学校の友人と数日間旅行する予定になってたからです。6日後にまたここに戻ってくることを約束し、塩狩駅から旭川行きディーゼルカーに乗りこみました。

旭川では同輩のTと待ち合わせ。富良野線で美瑛に向かいます。そこで後輩のSと先輩のAさんと待ち合わせ。バスで白金温泉ユースへ向かいます。そこでの夕食後、大幅に遅れて、同じく北海道を旅行中のU嬢とR嬢が合流。これで旅行のメンバーが揃いました。

翌日は朝一番のバスで美瑛駅へ。数日来ぐずついてた天気は快晴へと変わってます。バスが駅前へ到着し、少し時間があったのでみんなで駅前の食堂で朝食。かしわ蕎麦などを頂きます。このとき、僕は鶏肉のことを「かしわ」と云うことを始めて知りました。美瑛駅からは富良野駅までは富良野線ですぐ。駅のそばのAコープでパンとかオニギリとかその日のランチの調達します。

先日下見のときに知ったレンタサイクル屋さんで自転車を借り、麓郷へむけてサイクリングのスタートです。麓郷街道の坂を登りきり、市街地の先の砂利道になったあたりは麓郷らしい丘の広がる風景。その丘のひとつに登り、みんなでランチにします。
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それから、ロケで使われた廃屋、火事で焼けたはずの丸太小屋などを見て廻ります。そのころ観光客は殆ど居らず、ロケで使った廃屋には人の泊った跡がたくさんありました。ドラマではこの廃屋の前は広い庭になってるように感じましたが、実際は大きな石がゴロゴロ転がってる荒れた土地。トラマとは大違いです。沢から引いた水道や風力発電の柱などもありましたが、テレビで見るほどかっこよくはありませんでした。

麓郷サイクリングを終えた僕たちは富良野駅へ戻り自転車を返して駅へ向かいます。急行狩勝釧路行きには何とか間に合いました。その急行列車を降りたのは帯広。その日僕たちは帯広ユースに泊ります。ここはまるでビジネスホテルのよう。ミーティングなどもなく、食後はみんなで散歩に出掛けます。お目当ては六花亭。でも休館日でした。

翌日は朝一番の帯広発然別湖行きのバスに乗り然別湖畔へ。湖畔で昨日と同様ランチを調達して遊覧船に乗ります。然別湖の対岸で遊覧船を降り、天望山・白雲山へのハイキングの始まりです。暫く熊笹のなかの道をいくと、綺麗な湖が見えてきました。東雲湖です。僕はこの7年前にここへ来てますが、明らかに沼の湿原化が進んでます。今行ったら、普通の湿原になってるかもしれません。

それからみんなでゼイゼイ云いながら天望山に登り、山頂でランチ。それからはゆっくり山を下っていきます。夕方のまだ陽の高いうちに然別湖畔まで戻ってきました。ここのユースも今では旅館兼用。ただ男女別の相部屋というだけで、普通の温泉旅館と変わりません。夕食後はみんなでトランプ等をして遊びました。若かったころの楽しい思い出です。
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翌朝はバスで糠平まで。この日も快晴です。糠平からは今は無き士幌線で帯広へ向かいます。帯広到着後、真っ先に向かったのは昨日閉まってた六花亭。美味しチョコレートケーキとコーヒーを頂き、ここ帯広本店でしか買えないお土産を購入。

その後は帯広駅からディーゼル特急おおぞらで札幌駅へ向かいます。

札幌では別の道内旅行チームと合流し、ススキノのそばのビジネスホテルにチャックイン。まずは札幌ビール園に向かいます。そこではジンギスカンと生ビール。飲み放題食べ放題のもとがとれるだけ、飲んで喰いました。その後は大通り公園でOBと待ち合わせ。居酒屋で改めて乾杯。ホテルに戻る頃は日付が変わってました。
14:41 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

雨竜沼湿原

札幌でたらふく飲んで食べた次の日は、ゆっくり起きて札幌市内観光です。といってもラーメン食べて雪印パーラー行ってパフェ、それから大通り公園でトウキビかじるぐらい。同輩のTが明日から大雪に登るため、旭川へ向けて出発。みんなで札幌駅まで見送りにいきました。

僕たちがその日泊ったのは札幌ユース。駅のそばにあるビジネスホテルのようなところ。札幌駅ビルのエスタで簡単な夕食を頂き、早めに寝ました。

翌朝は1番の旭川行きライラックに乗り、滝川でおります。駅前から遠い市街地のレンタカー屋へバスで車を借りに行き、雨竜沼湿原へ出発です。この湿原へ行くのにバスなどの交通機関は無く、どうしても車が必要でした。暑寒別岳の中腹にあるその湿原は、別名北海道の尾瀬と呼ばれており超レアな観光地でした。(今ではどうだか分かりませんが)

途中にホカ弁屋があったので、その日のランチを調達し、山の中へ車で入っていきます。車で行けるのはここまで。というところに車を置き、そこからは歩いて山を登っていきます。歩くこと数時間。その幻想的な湿原が目の前に現れました。規模は小さいですが、まるで尾根が原のよう。ただし、人が全く居ません。湿原を巡る木道を歩き、適当なところでランチにします。何時間でも見てたいような風景に時間を忘れ、気付くともう帰らなければいけない時間。

後ろ髪を引かれる思いで、下山しました。滝川でレンタカーを返し、駅前で僕はみんなと分かれます。みんなはこれから小樽へ向かうと云いますが、僕にとって小樽はそれほど魅力的なところとは思えませんでした。有名になる前の、まだ今ほど観光地化されてないころの小樽です。でも、当時からケーキと寿司が美味しいところとして有名でした。今思い返すと、僕も行ってみるべきだったかも。

僕は6日ぶりに塩狩へ戻るため、旭川行きの電車に乗りました。

塩狩に戻ると、ヘルパーのまねごとなどをして、楽しく過ごす日々が数日続きました。
14:44 | '83.08北海道 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

塩狩から帰る

塩狩温泉ユースでの楽しかった日々はあっという間に終わりました。昔のようにみんなにおくられて、塩狩の駅をあとにし、旭川駅へ向かいます。

旭川駅では大雪から下山してきた同輩のTと待ち合わせ。赤門で旭川ラーメンを頂きます。ちょうどラーメン屋のテレビで、「大韓航空機が消息をたち、その後ソ連に強制着陸させられたらしい」というニュースが流れてました。ここ、旭川からはすぐそこ、樺太あたりの出来事です。けっこう驚きました。

時間は既に15時すぎ、これから僕たちは大移動。翌日の午後には伊東に行かなければなりません。ラーメンを食べ終わったらL特急ライラックで札幌へ移動。札幌では最後のお土産を買い、日の暮れたころ函館行きのディーゼル特急に乗りました。そのディーゼル特急は闇夜をひた走り、23時頃に函館駅へ到着。接続する深夜便の青函連絡船へ乗船。その間、大韓航空機の消息はソ連国内での強制着陸から「撃墜された可能性が強い」へ変わってました。

朝4時頃青森駅へ到着した青函連絡船から特急はつかりに乗り継ぎ、盛岡からは東北新幹線大宮行きやまびこに乗ります。大宮から新幹線リレー号、上野から国電、東京駅から伊東行き普通列車に乗って走りだした時、やっと東京駅で買った新聞を開きました。大韓航空機事件が大きく取り上げられてます。

新聞に載ってた大韓航空機への搭乗者名簿を見てたTが気付きました、「この人、うちの教授と同じ名前だな」最初は同姓同名ってのはけっこういるもんだ。なんて話してました。

それが本当に僕たちの教授だと分かったのは翌日でした。

東西冷戦が一番激しかったころのことです。原因は色々いわてれますが、慣性航法装置の故障か設定ミスだと、僕は思ってます。それとソ連での西側航空機の知識不足。戦闘機パイロットがB747を知らないとは。

教授をはじめ、亡くなられた方全てにご冥福をお祈り申し上げます。
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