大垣行き

いまでいう「ムーンライトながら」の前身、東海道線唯一の夜行普通電車に、僕は一度だけ乗って終点まで行ったことがあります。1982年の8月、紀伊半島一周旅行の脚として使いました。

その日僕は20時頃に当時住んでた横浜から上り東海道線に乗りました。東京駅まで行って2時間ほど並ぶためです。東京駅では既にたくさんの旅行者がこの大垣行き電車を待っており、何とか席を確保することができました。

153系といったでしょうか、東海型といわれた急行用の電車です。片側2扉で車内はボックス席が並んだ車両です。当時は既に冷房車でした。発車は23時45分ごろだったと思います。東海道方面、小田原行き最終電車の1本前で、家路に向かう酔っ払ったサラリーマンで大変混雑してました。

品川駅を発車するときが一番混雑してましたが、横浜、戸塚、大船、藤沢と停車するたびにたくさんのサラリーマンが降りていきます。平塚駅を発車したとき、当時の禁煙区間が終わり煙草に火をつけたのを覚えてます。

熱海までくると、立ってる人もまばらになりました。そこからも、この電車は各駅に停車していきます。真っ暗な外をみているうちに、僕はいつのまにか寝てしまい、気が付くと浜松駅に停車してました。長時間停車してます。僕はホームに降りて自動販売機でリアルゴールドを飲みました。煙草と缶コーヒで胃がムカムカしてたからです。その間に上下線とも、たくさんの貨物列車が通過していきました。

名古屋駅に到着したときには、空は明るくなってました。車内の空気は煙草のせいで悶々としてますが、冷房のお陰で暑くはありません。硬い座席に座って寝たり起きたり。気が付くと、終点の大垣駅に到着してました。

昔から憧れていた電車に乗ったのですが、紀伊半島へ行く手段だったためでしょうか、「やっと乗った」という感動はありません。眠さとだるさだけが残りました。

電車から降りると、既に蝉の鳴声が響いてました。今日も暑い一日になりそうです。大半の乗客がそこから西明石行き?の普通電車に乗り換えるため、跨線橋を渡ってとなりのホームに向かいます。僕もその流れにのり、大垣始発のその電車に乗り、大坂方面へ向かいました。

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18:46 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

有田

僕が紀伊半島一周の旅に行こうと思ったのは、特に理由があった訳ではありません。本当だったら九州とか北海道とかが、旅行先としてはBestですが、あまりお金がなかったし同期のKに誘われたので、何となく行くことに決めました。そして旅行の当日、「南紀ワイド周遊券」を買いました。

米原
昨日東京を一緒に出発したのは、僕とKとFの3人。ともに同じ歳で同学年。昔から乗りたかった「大垣行き」という夜行電車は、思ったより魅力のない電車でした。大垣駅で乗り継いだ電車は西明石行き。でも途中の米原で電車をおりました。米原の駅前は何もないところ。ここは東海道線と北陸線の分岐駅で、昔から街があったところではありません。

蝉の声の響く朝、今日も一日暑くなりそうです。駅前で煙草を一服。すると新幹線「ひかり」が米原駅を駆け抜けていきました。「ここから新幹線という手もあるな」なんて話しましたが、そんなにお金がない僕たちは、駅に戻って京都行き普通電車に乗りました。

京都
かなり満員の電車に揺られ京都駅に到着したのは10時頃。暫くは駅の待合室で休憩します。今考えると、見たいところがいっぱいあったのに、観光は全くしませんでした。彦根や安土の城跡を見るとか、琵琶湖を眺めるとか、昔修学旅行で行った嵐山に行ってみるとか。

結局京都では駅ビルの地下街で「そうめん」を食べただけ。それから僕たちは西明石行きの「新快速」で大阪まで。その「新快速」の素晴らしい車両にビックリしました。首都圏でいうと、「踊子」のような車両に急行券とか無しで乗れます。京阪神地区は私鉄との競争が激しいとは聞いてましたが、首都圏とはえらい違い。

大阪
「新快速」は大阪駅で降り、環状線に乗り換えて天王寺まで。電車はかなり混んでました。加えて大阪では電車の到着まで並んで待つという習慣がありません。満員電車の吊皮につかまって、大阪の市街を眺めます。

天王寺に到着すると、そこからは阪和線。大阪でも今考えると見たいところがあったのに、何も観光しませんでした。新世界、通天閣、なんばの繁華街とか。

阪和線
天王寺発の電車は田辺行きだったと記憶してます。横須賀線みたいな車両でした。座席には座れず、ずっとドアのところに立って、大阪の街並みを見てました。このとき、大阪では駐車場のことをモータープールと云うことを知りました。天王寺-和歌山間を品川-横浜間ぐらいだと思ってましたが大きな間違い。えらい時間が掛かりました。

湯浅
電車は和歌山駅を発車すると、それまでとは違って周りは田舎の風景になります。暫くすると海沿いを走りようになります。そして僕たち3人は「湯浅」という駅で下車。ここから歩いて有田のユースホステルに向かいます。湯浅の街中を歩き、橋を渡って登り坂になったところで、後ろからきた車が急に停まりました。運転してたオバサンが降りてきて「あんたたちユースいくんでしょ。乗っけてあげる」みたいなことを和歌山弁で話掛けてくれました。

ユースの前で車を降ろしてもらい、お礼を云うとオバサンは行ってしまいました。その有田ユースにチェックインし、早速お風呂に入ります。昨日は夜行電車だったので、お湯に浸かると疲れが抜けていきます。夕食もミーティングも終わって部屋にいると、今回一緒に旅行する1つ先輩のTさんが遅れてやってきました。

これから僕たちは4人で旅行することになります。

日の岬
翌朝、朝食を終えた僕たちは歩いて湯浅の駅まで行き、下り電車に乗って御坊で降ります。乗車時間は30分もありませんでした。この日も昨日と同じ夏の快晴。御坊駅前からバスに乗って日の岬というビュースポットに向かいます。あまりの暑さにバスを待つ間に缶コーラを1本。

バスに揺られて20分ほどで、終点の日の岬に到着。何てことは無い岬ですが、そこから見下ろす海の色にビックリ。水色というか緑というか、エメラルドグリーン。海岸の近くでは淡い水色、ちょっと沖は緑色。もっと沖は深い蒼。こんな綺麗な海を紀伊水道で見ることができるとは思ってもみませんでした。

御坊
御坊という街は国鉄の御坊駅からは遠く離れてます。帰りのバスは国鉄の駅まで行かず途中の御坊市街で降りました。降りた理由は昼食を食べるため。駅前には何もなかったので、市街地で降りた次第です。今回の旅行では同行者の意見が合わず苦労することになりますが、このときがその最初。僕はラーメン食べたいし、Fは蕎麦屋さん、Kは喫茶店がいいと云います。結局入ったお店は普通の何でもある食堂。

食後は街中をブラブラ。すると小さな駅がありました。紀州鉄道の紀伊御坊駅です。紀州鉄道は首都圏の新聞にも良く載ってました。リゾート開発とかホテルとか。その紀州鉄道がこんなローカル線とは知りませんでした。紀伊御坊駅から国鉄の御坊駅前までたった数分の乗車でした。

紀伊田辺
御坊駅から下り電車に乗って30分ほど。紀伊田辺の駅で電車を降ります。今日はここ田辺のユースホステルに泊ります。駅から歩いて10分ほどの市街地にある、そのユースはまるで民家です。泊るだけのユースで食事はありません。近くの喫茶店で夕食を食べました。その喫茶店にあったメニューにびっくり。カルピスコーラだって。

南紀白浜
次の日は朝から雨。台風が近づいてるそうです。昨日、夕食を食べた喫茶店でモーニングセットを戴きます。紀伊半島を旅してて、雨の日は魅力は半減以下。4人でその日の計画について話し合います。「パチンコやろう」とか、「食堂とかで飲んでよう」とか。その日、僕たちの泊る宿はユースホステルではなく、国民宿舎。先輩のTさんが旅行中どうしても宴会がやりたいとのことで、1泊は国民宿舎に泊る工程としてました。

結局は、白浜まで行こうということになり、紀伊田辺の駅から白浜まで。でも電車で10分ほどで到着。駅前からバスに乗って千畳敷とか三段壁のあるところまで行きました。台風がやってくるというこの日の三段壁は圧巻でした。波が絶壁にあたり、高さ数十メートルにも及ぶ飛沫が上がります。

笑ったのが「ハマブランカ」という施設。海のそばにあるカサブランカみたいなところという意味で付けた名前でしょう。その「ハマブランカ」はパスし、早めにその日に泊る国民宿舎に移動します。その国民宿舎は「しらら」と云い、白良浜に面したところ。その宿舎への移動もみんなバラバラ。ある者は雨の中歩いていくというし、ある者は水族館に行くというし。

その日の夕食後、部屋で飲んでも盛り上がるはずはありません。一応、先輩のTさんを立てて、その場を盛り上げようとしますが、それは心とは別の方向。結局白けて、みんなで寝てしまいました。

翌日、Kはひとりで先に出ていきました。残った僕とFとTさんは海水浴です。これはTさんのたっての希望。僕とFが付き合ってあげたという感じ。まあ、天気が回復し海水浴日和だったのがせめてもの救いでした。

不協和音の響く旅はまだまだ続きます。


18:44 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

潮岬

白浜
この日、僕たちは潮岬のユースホステルに泊ります。一緒に旅行してるKは、「紀伊大島を歩いてくる。夕方、潮岬で会おうぜ」といって朝早く国民宿舎を出ていきました。

その後、白浜で海水浴をしたTさん、Fそして僕は昼過ぎに白浜の駅へ向かいます。やってきた急行に乗って串本までの旅。やってきた急行はディーゼルカーでした。乗車時間は1時間とちょっと。席に座ると僕たちはウトウト。そんななか、Tさんは「串本の海中公園に行く」といって、途中で降りて行きました。

潮岬
昼下がりの暑さ中、串本の駅に降り立ったのは僕とF。ガイドブックでみると串本の駅から潮岬までは500mと書いてあります。「そんな近いんじゃバス乗らないで歩こうか」ということで歩きはじめました。そのガイドブックはミスプリで、実際は5kmであることは、歩き始めてすぐ気付きました。

でも、歩いていくと決めたので、5kmでも10kmでも歩きます。駅から1kmほどは平地でした。ここ串本は函館と函館山のような陸繋砂州。紀伊半島先端に浮かんでた島と半島が堆積物によって陸続きになったところ。砂州の地帯が終わると登り坂になります。

坂を登っていくと目線が高くなり、青い海がだんだん広がってくよう。潮岬という街は風が強いためか、低いブロック塀に囲まれた屋根の低い平屋建ての家が目立ちます。その街を外れ、岬に近づくと公園のようになってます。歩き始めて1時間半ほどで潮岬灯台が見えてきました。

潮岬ユースホステルは典型的な岬ユース。フォークソングが流れ、だれでも陽気に挨拶します。夕食後のミーティングもすごい盛上り。今ではあまり感じられない70年代、80年代の若者のパワー。

翌日は、久しぶりに4人そろっての行動。岬からバスで串本の駅へ向かいます。ヘルパーさんたちから盛大なお見送りを受けました。駅から電車に乗るとすぐに橋杭岩が見えました。

太地
串本駅から10分ほどの太地駅に到着。ここでまた意見が分かれます。バスで行くか、歩いていくか。結局4人でくじら博物館まで歩きました。太地は江戸時代から古式捕鯨で栄えた街。くじら博物館をみんなで見学。

太地古式捕鯨の繁栄と衰退について説明するコーナーもありましたが、この博物館では「くじらはやっぱでかいな」ぐらいにしか思いません。太地を衰退へと導いた「大背美流れ」について詳しく僕が知ったのは、その後津本陽さんの直木賞受賞作「深重の海」を読んだ後になります。

この博物館には水族館も併設してます。僕たちは展示コーナーを見学したあと、シャチのショーなどを見て楽しみました。

そのあと僕たちは太地駅まで戻り、その日宿泊予定の那智へ向かいます。

18:45 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

那智

那智大滝
太地駅から電車に10分ほど乗ると那智駅に到着。本日宿泊するユースは駅のすぐ近くでした。早い時間にユースに入り、僕とKは紀伊勝浦にバスで向かいます。目的は車の調達。レンタカーを借りにいきます。僕たちはここ那智ユースに連泊の予定。あした一日は車で熊野の山を巡る予定です。

翌日は朝食後、車でスタート。男4人のはずですが、何故か女性が1名加わり全員で5名。紀伊半島をひとりで旅してる女の子と、この日行動を共にすることになりました。小さい車ではちょっと窮屈。まずは那智の滝に向かいます。

そこは那智ユースから車で10分ほど山をの登ったところです。滝へ降りる小路の入口に鳥居があり、そのヘアピンカーブの内側が駐車場になってました。そこに車を停めて、鳥居をくぐり、階段を降りていきます。周りには杉の大木が林立。滝の音も聞こえてきます。ここはマイナスイオンが充満してる空間です。

駐車場から数分歩くと、その迫力ある大きな滝が現れました。すごい水量です。僕が見た滝のなかでは最高に迫力がありました。多分数日前に台風が通ったためでしょう。何か、見てると心が洗われるような滝でした。

熊野川
再び車で那智の山を下り海岸線にでて左折。新宮に向かいます。新宮からは再び左折。トンネルをぬけると熊野川に沿った道になりました。熊野川は大きな川です。川の両側は切り立った崖が続き、至るところから熊野川本流に滝が流れ落ちてます。

それにしても深い山々です。何処まで行っても山なみが続きます。交通量は殆どなく、走ってる車といえば木材を満載にしたトレーラーぐらい。朝から晴れてた天気はこのころから曇り空に変わってきました。

瀞峡
僕たちが目指したところは瀞峡。「どろきょう」と読みます。そこは奥深い山のなかの険しい渓谷。熊野川に沿った国道を途中で右折し、さらに狭い谷に入っていきます。その道はそれまでの快適な片側1車線の国道ではなく、1車線。前から車がきたら、交換場所までバックしなければなりません。そんな狭い見通しの悪い山道を延々と走ります。

瀞峡は、ここがその「瀞峡」というスポットではありません。普通は川下りの船から楽しむところでしょうが、僕たちな何故か観光船になりませんでした。その変わり素晴らしい景色を自分たちでみつけようと、色々走りまわりました。

瀞八丁と云われてるあたりで車を停め、僕たちは渓谷の底の方へ獣道を歩いていきました。河原まででてみると、それはもう凄い景色。山水画の中にはいったよう。みんな、言葉もなくその河原に佇んでました。

それからも山道を走りまわりました。何かこの日はずっと山の中を車で走ってたような気がします。帰りは再び熊野川に沿った渓谷の道。左右に落ちる滝を見ながら走ります。

新宮の街に到着し、僕たちはやっとファミレスで昼食。確か名前をベフール。和歌山県内を旅行してて良く見たファミレスです。食後もゆっくりコーヒーなどいただき、寛ぎます。

那智ユースに帰って、僕とKは車の返却に那智勝浦まで。この日は熊野の山の奥深さを実感しました。

18:46 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

家城

紀勢本線
翌日は紀伊半島最後の日。ここで僕たちはまた意見が分かれます。Tさんは伊勢神宮に参拝したいというし、Kはせっかくここまで来たんだからこの辺をブラブラしたいと云います。Tさんは那智ユースをでると真っ直ぐ駅へ。那智駅から北へ向かいました。残った僕とKとFは、昨日一緒だった女の子と海岸に出てブラブラします。

そのうちFは「先に行く」と云って駅に向かいました。それからKは「新宮まで歩く」と云います。僕の今日の予定は松阪で牛肉をお土産に送るだけ。僕とその女の子は那智駅から新宮行きの電車に乗りました。その女の子は新宮駅でお別れ。僕は、新宮から多気行きの普通列車に乗りました。ディーゼル機関車に引かれた客車列車です。

松阪
新宮から松阪までは3時間以上掛かりました。駅前で牛肉屋さんを探しますが、見つかりません。仕方ないので、駅前の交番で「美味しい牛肉屋はどこにありますか?」と尋ねます。すると、佃煮だったら○○、すきやきは××などと丁寧に教えてくれました。

お土産はそのうちの1軒、和田金で買いました。お店に入って、その牛肉の値段にビックリ。肉を送るのはやめて、そぼろ煮を数百グラム買いました。それでも五千円以上の出費。

家城
今日、僕たちは夕方に名古屋駅前に集合予定。それまで時間はたくさんあります。松阪駅まで戻って、僕は名松線に乗りました。そのローカル線は松阪から伊勢奥津まで行きますが、先日の台風の影響で家城というところまでしか走ってません。その家城へ向かいます。

松阪駅から発車したそのディーゼルカーは2両編成。乗客は僕を含めて20人ぐらい。松阪の街並みはすぐにおわり、田園地帯を走ります。進行方向右手には近鉄の線路が暫く並行し、長編成の電車が引っ切り無しに走ってます。それに引き換えこっちの国鉄は寂しいばかり。

終点の家城という駅は一応駅員さんの居る駅。なにか、映画「砂の器」に出てきそうな駅。駅前にある小さな食堂に入りました。ラーメンを注文します。しばらく待って出てきたラーメンにびっくり。出汁は鶏がらとタマネギ。麺はうどんのよう。そして具はタマネギ。味付けは塩。こんなラーメン始めて食べました。でもまずくはなかった。

ここから先名松線は不通なので、ちょっと線路を歩いてみたくなりました。駅から数百メートル先の踏切から線路を歩きます。錆びて茶色になった線路の間を歩いていくと、この先に鉄橋です。線路間に渡し板はありますが、手すりなど全くありません。足がすくみますが、なんとか橋を渡り終えました。

するとその先で保線作業をやってます。このまま歩いていくと怒られそうなので、引き返します。帰りもかなり緊張して橋を渡りました。それから家城駅に戻り、誰も乗ってないディーゼルカーにのって松阪に向かいます。

名古屋
僕たちは、今日の夜7時に名古屋駅前に集合予定。僕は松阪から名古屋方面へ向かう普通列車亀山行きに乗車。亀山から関西本線の名古屋行きに乗って、3時間ちかく掛かって名古屋駅に到着。

名古屋駅でTさんは僕たちの知らない先輩と待ち合わせてるとのこと。その先輩と一緒に食事をする予定。というか飲み会です。その先輩の指定したお店はすぐに分かり、先に飲んでます。4人で飲んでてもあまり盛り上がりません。理由は色々ありますが一番大きな理由は、Tさんが待ち合わせた先輩が来ないこと。結局その先輩は現れませんでした。

その晩、僕たち4人は夜行急行「きそ」で松本に向かいます。

18:47 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

松本

夜行急行「きそ」は空いてました。僕たち4人ともひとりずつ1ボックス。とりあえず、名古屋駅前で飲んでたので、列車に乗ったら即爆睡でした。

早朝の松本駅に到着し、待合室で睡眠の続き。その後も僕たちの行動はバラバラ。僕は歩いて松本城・信州大学へ。昔受験したのが懐かしくてそのあたりをウロウロ歩きました。受験のころは3月始めの寒い頃。スパイクタイヤのため、街中埃っぽいところでしたが、夏の今は蝉の声が至るところで響く蒸し暑い盆地。

午後になり、松本駅へ戻ると、僕たちみたいに能登半島を巡ってきたチームと再開。あまりうまくいってなかった僕たち4人に加えて先輩のOさん、M嬢、そして同輩のMとK。もうひとり、僕たちと紀伊半島を廻る予定だったO嬢。総勢9名になりました。

午後はビジネスホテルにチェックインして、松本城あたりをみんなで歩きます。今度は和気あいあい楽しく歩きます。それで、夕方からは大宴会。松本駅のそばの居酒屋で盛上りました。

今回の旅行は、大垣行き・有田・田辺・潮岬・那智×2・急行きそ・松本と8泊9日の大旅行。色々ありましたが、知らない土地を歩く楽しさを改めて感じる旅行でした。
18:51 | '82.08紀伊半島 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑