初代カローラ(うちにあった車)

僕のうちに自家用車がやってきたのは1969年のことです。初代カローラでした。

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この写真は2010年5月、名古屋の産業技術記念館で撮ったものです

ある日、親父が車のセールスマンをつれて家に帰ってきました。話してる内容は良く分かりませんが、そのときに見た車のパンフレットはよく覚えてます。

当時のカローラは4ドアと2ドア、2種類のタイプがありました。レベルは「スタンダード」、「デラックス」そして「ハイデラックス」の3種です。そしてその上位に「カローラ・スプリンター」というクーペタイプのかっこいいのがありました。

ぼくはカローラ・スプリンターを主張したのですが、親父が選んだのは4枚ドアのハイデラックス、色は「銀ねず」といってました。ブルーと灰色の中間のような色。排気量は1200cc。マニュアル4速シフト、5人乗りのセダンです。

納車したときのことは覚えてませんが、車の内装などは良く覚えてます。

フロントドアの窓には、当時は普通だった三角窓がついており、ひねるように開けるタイプ。走ってるとそとからうまく風がはいってきます。マニュアルは当時主流だったコラムシフトでなくフロアシフト、マッハ号みたいだと思いました。当然ドアミラーはなく、手で調整するフェンダーミラー。パワーウインドウもありません。

クーラーも当然ありませんし、ラジオはAMのみ。あとで8トラックのステレオをつけて、よく都はるみのテープを車内ではかけてました。また、当時はスイッチ類の規格はなかったようで、ハンドルの並びに、ライトとワイパーの2段式プルスイッチがついてました。そういえば、リアガラスの熱線もなかったと記憶してます。

エンジンですが、当時は廃ガス規制などもないため、1200ccですがかなりパワーがあったようです。第三京浜で親父が160Km/hで爆走したことがありました。エンジンが壊れんばかりのすごい音でした。

僕は車酔いによく悩まされました。当時の車は独特のいやな匂いがあり、ヒーターなどを付けるとすごいです。それに加え親父は煙草を吸いながら運転したので、必ず気持ち悪くなりました。僕には酔い止めの薬が必須でした。

この車では色々なところに連れてってもらいました。第三京浜の玉川ICから用賀の先までしかなかった環八を通って、練馬のおじさんの家へ行ったり、厚木まで開通したばかりの東名高速を走ったり。

いちばん遠くまで連れてってもらったのは、愛知県の西浦温泉です。

片側1車線の渋滞してる国道16号八王子街道を走り、横浜IC入口で右折。原っぱの中にインターチェンジがありました。保土ヶ谷バイパスは当然ありません。料金所ではカードをもらいそのカードは厚紙でインターチェンジ名がいっぱい書いてあり、丸い穴がいくつか開いてました。

富士山を見ながら走り続け、そのうち富士山は後ろになりました。延々と西へ向かいます。ときどき、SAに停まりました。売店で売ってたサボテンの花が綺麗だったのを覚えてます。

当時のPAは本当にトイレと売店だけしかありません。SAはそれに加えてガソリンスタンドとレストランのみ。レストランではハンバーグとかカレーとか、洋食しかありません。今のように、SA・PAの多様化したサービスが始まるのは、まだ先のことです。

東名高速は豊川ICでおり、豊川稲荷などを参拝して西浦温泉についたのは夕方。旅館のゲームセンターでレーシングカーで夢中になって遊んだのを覚えてます。長さは15m以上もある、今考えると鈴鹿サーキットのコースレイアウトを縮小したコースでした。旅館には「チクロは使ってません」と大村昆が訴えてるオロナミンCのポスターがありました。

この初代カローラが家にあったのは1971年までの3年ほど。その後、家に車が再びやってくるのは、1976年ごろになります。
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