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ブルーバードUシリーズ(うちにあった車)

僕が中学生のころ、国産自家用車ではホンダのシビックが売れ始め、それまでのトヨタ・ニッサンの2大メーカー時代ではなくなってきてました。そんななか、何故かまた親父が車を買ってきました。中古車のニッサンブルーバードU-SSS、2ドアハードトップの車です。SSS(スリーエス)はスーパー・スポーツ・セダンとのことですが、何故ハードトップでもそういうかは分かりません。

側面窓の全開できる、センターピラーのない車を何故ハードトップというか。中央にあるピラーがない分、トップ(屋根)をハード(強化)した車なので、ハードトップと云ったそうです。その後はセンターピラーがあっても、ハードトップという云い方をしましたが。

Uシリーズは本当のハードトップ、ドアに窓枠はなく、センターピラーもありませんでした。

何故、この車を親父が選んだのかは分かりません。多分程度の良い安い中古車だったからでしょう。このころ中学生だった僕は家族でドライブを楽しみにする時代は過ぎ、家に車があろうが無かろうが、自転車で友達と遊びまわってました。ですから、あまり記憶はありません。運転席には7つぐらい丸メータがついており、カッコ良かったのは覚えてます。

そんななか、家族で1度だけ1泊でドライブに行ったのを覚えてます。甲州街道を下り、八ヶ岳山麓を通り松原湖畔で一泊、小諸の親父の知り合いの家に泊めてもらい、中山道で帰ってきました。

当時中央道は大月から先はツギハギに開通しており、笹子トンネルは中央道だったか一般道だったか記憶がありません。甲府バイパスは完成してたと思います。

ひたすら一般道を走り、今のようにメジャーでなかった清里駅前を通り、行けるところまで車で行って、八ヶ岳の登山道を少し登ったところにある小さな湿原まで歩いていきました。甲府あたりの暑さが嘘のように涼しく、清々しかったのを覚えてます。

その後、望月というところの親父の知り合いの家に寄りました。その家の前の通りが旧中山道とのこと。舗装はされてましたが、狭い谷に挟まれた田んぼの中の田舎道です。有名な中山道に全線を通して並行した一般国道や鉄道のないことを、その時始めて知りました。

その後何度か望月はバイクで通りましたが、その時通った旧中山道と立ち寄った家は分かりません。いつかは見つけようと思います。

その車は1979年まで家にありましたが、僕の記憶ではその1度のドライブだけ。車より友達との遊びや部活、それから原付免許に興味があった時代です。
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